漱石

 漱石いわく、「哲学者は普通の人の考え以上のことを考えるから、彼の言うこと説くことはほとんどの人に馬耳東風である」

 昨夜、夜食にラーメンを食べながら辞書を読んでいたら、そんな一文に出逢った。ほんとに漱石は、いろんなことをわかっていた人だと思う。

 この「哲学者」は漱石自身ではないか。普通の人の考える以上のことを考え、それはしかし一般人に伝わらない。もどかしく、腹立たしく思いながらも、しかし文学の道を行く覚悟の下、「猫」などを書いて、わかりやすい文体、描写で、一般人に向けて書いていたのではないか…。

 書くことを、「侘びしい作業」と言った漱石の気持ちを想像する。

 しかし漱石の言葉は、励まされることが多い。その根にあるのは、共感、共鳴だろう。何も漱石は、人を励まそうとしてこんなことを書いていない。漱石自身の「嘆き」を書いているように思う。

 だから、こちらに響いてくる。心に、ほんとに入ってくる。

 ニーチェの「ツァラトゥストラ」に漱石が異常な関心を示したのも、うなずける。

「一般大衆は愚鈍だ。だから一般なのだ。賤民だ。そんな者どもを相手にするな。おまえはおまえの道を行くがいい」

 しかし、食って行かねばならない。愚民… 漱石はそんな激しい言葉は使っていないが、一般大衆に向けて、その中で書き、その中で生活を立たせて行かねばならない。

 わびしい作業。

「荘子」の影響も受けているそうだから、言葉の限界、不毛さも、感じていただろうと想像する。

 よく書いたよ。あなたはよくやった。よく、死なずに、生きた。

 今や、誰もが作家みたいなものでね、しかも「いいね!」を沢山もらうと、人気作家(!)気取りになれるらしいよ。いや、商品、かな。自分自身、人間自身をあらわしたものは少ない。目に見える事象ばかりを取り上げて、目に見えない考え、思考、あなたの言う哲学的なところまで行く人は少ない。そんなことを書いても、読まれない。

 こう書いていて、笑ってしまうよ。じゃあお前は何のために書いているのか、と。

 僕はべつに、そんな、生に拘泥していない。しているけれど、しないように、しないようにしている。お金がなくなったら、死ぬだけだと思う。この「社会」に対する、最後の反抗、そんな気持ちだよ。ずっとこんな自分だったから、もし相応しい死に方があるとしたら、そうなると思う。必然、と言えるよ。これは偶然じゃない。まぁ、それまで生きているという話さね。

 ところで、考え過ぎると、病むらしい。心を病む、これは一体どういうことなんだろうね。

 まるで病まない人間が健康であり、普通であるかのようだ。おかしな話だよ、何が健康で何が普通かも、ほんとうには知らないのにね。

 知らないものを盾にして、また矛にして、やいのやいのやっている。

 まぁ、とにかく、死ぬまで生きる、それだけの話さね。