小学4年位から学校に行かなくなったので、家で特にするべきこともなく、マンガを読んだり書いたりしていたけれど、それだけでは何か不安に駆られて、兄の本棚に手を出したのがきっかけだった。
兄の本棚には、実にいろいろな本が、100冊以上はあったと思う。
中央公論社の「世界の名著」シリーズ、「日本の文学」「世界の文学」シリーズ、きだみのる著作集、ボッカッチョ、コナン・ドイル、北杜夫、柴田翔、ヘミングウェイ、トルストイ、カフカ、モーパッサン、サルトル、ボードレール、サガン、カミュ、ジッド、モリエール、モーム、イプセン、チェーホフ、ゲーテ、モーリヤック、ニーチェ、椎名麟三、瀬戸内晴美、倉橋由美子、曽野綾子、高橋和己、石川達三、安倍公房、田中英光、坂口安吾、小林秀雄、亀井勝一郎、志賀、国木田、武者小路、三島、芥川、大江…
しかし、どういうわけでか自分でも分からないが、ぼくは漱石ばかりを集中的に読んでいた。
難しい漢字がいっぱい出てくる、その度に辞書を引く。
漢字の意味が解って、また物語の世界に入る。
また漢字の意味が解らない。また辞書を引く。
辞書を読んでいたのか漱石を読んでいたのか分からない。
せっかく引いたのだから、覚えておきたい思いもあったろう、ルーズリーフにその漢字を書き、その意味を書き、その引用文も書いていた。
不登校児だったぼくの唯一の勉強らしき作業が、これだった。
ただ、どうして漱石だったんだろうと思う。
難しい漢字を知りたいという、単純な、考えるまでもない好奇心のような興味のようなものもあったろう、しかし、漱石の描く世界に触れていると、何か安心できる感覚があった。
あれはほんとうに「世界」だった。今でもその感覚が残っている。
漱石の、漱石による、漱石がつくり得た世界。
「ストレイシープ、ストレイシープ」(迷える子羊、迷える子羊)と呟く美禰子さん、なんだかひょうきんな三四郎の友達のことが、どうも忘れられない。
肝心の三四郎自体のことは、よく覚えていない。
「彼岸過迄」も、今年読み返してみて、登場人物の森本を「ああ、森本だ、森本だ」と思い出した。
そうそう、こういう男なんだよな、と、懐かしかった。
「明暗」も懐かしかった。
読んでいると、ああ、この雰囲気だ、と昔感じた手ごたえのようなものがジワジワと思い出された。
「それから」は、ほとんど記憶に残っていなかった。
「門」は宗助の名に覚えがあったが、ああ、こういう物語だったのか、と昨日読み終えて茫漠と感動した。
「それから」は自分の中に強く入ってきたけれど、「門」はぼくの中に大きく入ってきた。
今年の夏あたりに読んだ「行人」の「兄さん」はよかった。
読後しばらくの数日間、ぼくは「兄さん」になった気持ちで生きた。
子どもの頃、ぼくは漱石を、ほとんど理解せず、読んでいたことが、よく分かる。
今もほんとに理解しているのか分からない。
ただ、漱石の世界が、何といったらいいのか、引力を持っていた、とでもいうのか、ただぼくは惹かれていた。
ドストエフスキーは、「虐げられた人々」で精一杯だった。
「アゾルカ! アゾルカ!」と、死に行く老犬に向かう老人の涙の姿が忘れられない。
喫茶店の中にいた人々は、皆感動していたのだった。
「罪と罰」は、当時最後まで読めなかった。
ただ、あの飲んだくれでどうしようもないマルメラードフが、異様に強く入ってきたことは覚えている。
読書、小説、本を読むということは、確かに自分を知れるということに繋がっているようである。
自分の中に入ってくるものがある以上、その対象のものが自分の中に入ってくる以上、自分にその対象のものの持つ要素があるということだろうからだ。
それに対して強く反発するも同意するも、その対象のものが自分の中に入ってくる時点で、その質は同じ粒子でできているということだろう。
ぼくは歳を取る前から、既にマルメラードフだったんだろうと思う。