うちの猫(福、♂、4歳)は、よく喋る。
そばに来て、チョコンとおすわりして、ニャア。目線は真っ直ぐこちらを向いている。
「なぁに? 福、何言ってるの? ごめんね、わからない」
家人が福に向かって言う。
たしかに、正確には、福の喋る言葉は、正確には理解できない。
「福本人だって、何が言いたいのか、わからないかもしれないよ。もう、こっちが想像するしかない…。で、こっちの想像と、福の言いたいことが一致した時、理解し合える仲になるんじゃないかな」
家人に向かってぼくが言う。
考えてみれば、人間どうしの関係だって、同じではないか。
ヒトはネコより多めの語彙をもっているだけで、その言葉は完全なものではない。
自分の言葉に、自分の言いたいこと全部が、完全に網羅されることはない。
肝要なのは、何がこの人をそう言わせているのか、という想像力。
福は、「遊んで」「ご飯ちょーだい」「トイレ片付けて」の3つしか、言いたいことがないように思えるが、それはもしかして、こちらの想像力が貧困なのかもしれない。
「ねぇ、人生って何なの?」「毎日生きるって、どういう意味があるの?」
福は、その小さな頭で、そんな問いかけの「ニャア」を発しているのかも…(んなワケないか。)
こちらが、福に向かって「今日は雨だねぇ、狩りは中止だねぇ。ほら、雨だよ、おんも、雨こんこん、雨こんこん」(なぜか猫に話しかける時、幼児語になる)などと話すと、福は目をパチクリさせて聞いている。
わかろうとする姿勢がおたがいにある以上、われわれは大丈夫だろう。