認知症というもの

 今年の1月の夜。母が階段を昇ってきたという。(実家のかめ家は2世帯住宅。1階が父母、2階が兄夫婦、3階が子ども部屋になっている)
「おじいさんがいなくなっちゃったんだけど、どうしたらいいでしょう」
 母が言った。
 びっくりした兄が階段を降りた。いなくなった? 念のため、父が寝ているはずの部屋を見た。

 すると、父はそこにいた。父は、いたのだ。
「いるじゃない」
 兄は母に言った。
 だが、母は、いない、と言う。
「あれはおじいさんじゃない」
 母には、そこにいる父が、誰か別の人間に見えていたのだ。
(どうしちゃたの、お母さん…)
 兄は、ほんとうに驚いた。

 これが、母の認知症(ぼけ、痴呆、というひどい言葉でも言える)が、はじめて現実にあらわれた時だった。

 毎年、ゴールデンウィークに父母と一緒に旅行へ出掛けるのが恒例になっていた。
 3年ほど前、旅行好きの父が、「老人ふたりじゃ心細いので、ミツル(私の本名)、連れてってくれないか」と言ったのが始まりだった。
 今年は千葉の房総半島に行きたいということだった。

 その宿の予約がとれた報告の電話を、ぼくは実家にかけた。母が出て、母と話す。その時、母は、まともだった。ちゃんとぼくの話も聞いていたし、会話も成り立っていた。

 だが、その日の夜、兄から電話が来た。
「今年も旅行、行くんですか」
 うん、ちょうど今日宿がとれて、お母さんに電話したよ。
 ああ、そうだったんですか、母は、ふつうでしたか。
 兄の質問が、ふしぎだった。

 実は、こないだお父さんとお母さんが取っ組み合いのケンカになりそうになりまして。
 お母さんは、お父さんが浮気をしている、という妄想というか、幻想を見ているんですな。
 5日間、お父さんが外泊していた、ということを、責めていたんです。

 実際は、お父さんは家にいたんです。浮気なんか、もちろんしていない。
 でも、お母さんには、見えてないんです。
 誰か、べつのおじいさんが見えているようなんです。
 ふたり、そのおじいさんは、いるようなんです。……

 ぼくは、兄の話を聞いていた。
 お母さんが、おかしくなった。
 現実だった。

 翌日、母とまた電話で話した。
「昨日、お兄さんから電話があってね」
 ぼくは話した。
「そうかい、○(兄の名)、何て言ってた?」
「いや、お父さんがどうのこうの、って…」
「そうなのよ。今まで、そんなことする人じゃなかったのに…」
 母が話しだした。

 母の話を、ぼくは聞いていた。とめどもなく、涙があふれた。
「お母さん、お父さんはそんなことする人じゃないよ。信じなよ、お父さんを…」
 それだけ言うのが精一杯だった。

 以来、毎日電話をかけている。
 ふたりのおじいさんは、母の見える、母にとっての現実の中に、確かに居る。
 そして、「末っ子」というのも、出てきている。
 ぼくでもない、兄でもない、もうひとり、「末っ子」が、母の産んだ子どもに、居るらしい。

 おじいさんと、父の浮気と、末っ子以外は、母はまともに話している。
 ただ、もの忘れが激しい。2、3分前に話したことを、またぼくに聞いてくる。

 今日電話した時、母は父とモメていたらしい。
「昨日の夜も、どこか行ってたのよ。」
 父は、もちろん「いた」と言っても、母には信じられない。
 ぼくは、言ってしまった。
「お母さん、お父さんは、いたんだよ。お母さんに、見えてないんだ…」
 母は、「…そんなことって、あるのかねえ。」

 入院したほうがいい。お医者さんも、そう言ってるんでしょ?
 2ヶ月なんて、あっというまだよ。検査してもらって、良くなって、それから、夏に旅行に行こ。
 母に、ぼくは言った。

「みつるがそう言うんなら、そうしたほうがいいねえ。」
 母は言った。

 入院の話は、兄から聞いていた。

 母の、理不尽な、父にとって身に覚えのないことで、詰問される父の身を案じてのことだった。
 温厚で我慢強い父でも、万が一がある。殺傷沙汰にもなりかねない。
 さいわい、その大学病院の、母を受け持つ女医さんと母の相性はいいという。
「お義父さん、ほんとによく耐えてると思うわ。」兄嫁が言った。

 母の見ている現実。父や兄、兄嫁が見ている現実。
 どこが現実でどこが幻想なのか、混濁して見えるときがある。
 まだぼくは母の認知症を、受け容れられていないのだろう。