顔が、思い出せない

 会っていた女の人の顔を、思い出せない時がある。
 つい、さっきまで会っていたのだ。初対面でもない。何回も会って話をしたにもかかわらず、そのひとの顔が思い出せない。

 そういう時、ぼくはきっと、自分の穴の中に潜り込んでしまっているのだろう。
 あ、このひとは、違うんだ。そう感じると、ぼくはぼくの中へ潜り込む。
 相手の中へすべり込もうという意志が、既に萎えている。

 でもぼくはしゃべるのだ、べらべらべらと。
 違っている、致命的に決定的に違っていて、けっして同じ地平に立つことのない相手と、まるで不毛な会話をするのだ。

 意思の疎通ができているかどうかなんて、問題にさえならない。
 それでもぼくはその相手と、話をしていたのだ。
 なんという無意味な時間だろう!

 だが、こんなことは今までなかった。
 ぼくは記憶力のいいほうだったし、1度会った相手を忘れる、まして顔さえ思い出せないなんて、初めての経験である。
 そういったことが、この半年間の間に少なくとも4、5回はあった。

 不登校の相談を同じお母さんから何回か受ける時、職場の飲み会でぼくにコンパニオンがついて、その後電話をもらって何回か会う時、ぼくはその時間を共有したはずの相手の顔を、まったく覚えていないのだ。
 何を話したか、相手がどんな雰囲気をもつ人間だったかは覚えている。

 ぼくは、ぼくの中の景色の中にいる。
 その景色に、違和感のあるひとを、ぼくは無意識のうちに本能的に削除しているのだろう。
 だからぼくの景色が、もうこれ以上広がることはない。
 ぼくは、ぼくがいつのまにか縁取ってしまった、長方形に形どられた景色の外へ、もうハミ出すことはない。

 この頃(つい1、2週間の間だが)、自分が自分にたどり着いたような気がする。
 力の抜けた、脱力のまま、自分を自分として他者に向けている。そうすることが、できるようになった。

 ヘンに、はしゃがなくなった。
 なんだか落ち着いてしまった。
 それから、妙に涙もろくなった。心情的には、まるでいつも泣いている。

 時の流れが、それを感じることが、ぼくをそうさせている。
 せつなさが、確かなものとして感じられる。
 死期でも近いのだろうか。