あの頃と、いま頃

 どうしても17歳の頃から10年位、やっていた、「脱学校の会」にさかのぼってしまうのである。
 つまり「学校に行かなくても、好きな勉強ができたり、友達ができる場所」として、それが社会への発信であるかのように、私がノメリ込んでいた会であった。

 社会への発信。
 当時(1980年代)は、「学校は行くのが当然」という空気があり、それはおかしんじゃないか、それだけではないんじゃないか、というところあたりから、私にとっての「脱学校の会」は始まっていた。

 今、「教育」はどうなっているんだろう。
(そもそも、この「教育」という言葉じたいがあまり好きではない。上から下、って感じが。)

 いろんな新聞とか雑誌、NHKなんかにも出て、それなりの意味はあったと思う。
 だが、私に残っているのは、友達である。
 そう呼ばせてもらっていいのなら。
 仲間、古めかしい言葉でいえば、「同志」か。

 この「社会」というモノに対して、という前提の上で、一緒に何かやってきた、仲間。

 その後、これぞという人とは、なかなか会えなかったが、あの10年位の間に、一緒に何かつながっていた人たちが、今もつきあえる、私にとっての友達なのだった。

 結局は、社会というモノに対して、自分がどう感じているか、というところだろう。
 社会は、ひとりでなければいい。
 家族が、最初に接し、目にする社会だろう。
 幼稚園やら保育園が新しい社会として目の前に現われ、小・中学校、高校とか大学なんかも社会なのだと思う。アルバイト先も社会だ。

 この社会、自分の接し、目にする社会も中で、自分が何を感じるか。
 おかしいと思った、感じたこと。
 それが、自分ひとりが感じていたことではない、
 まわりにも、こんなにいたんだ、と知ることが、どれだけ私を勇気づけたか。

 今、私はなぜ、具体的な活動ができないのだろう。
 人が人を平気で殺せる「社会」、戦争の続いている「社会」、わけのわからない「社会」。
 私の中の「経験」が無いから、ノメリ込めないのだろうか。
 私自身の不登校経験から始まっていた、私にとっての「脱学校」。
 実体験、原体験がない限り、この「社会」に対して、本気で問題提起はできないのだろうか。