話せる人、います?

 仕事の話。

 昨夜は、「あぁまた1週間が始まる~」と憂鬱になっていた自分が、月曜日の今日、何となく良く働けたなぁ、と思っている夜なのだった。

 あと4日である。(←ホントに働くのがイヤなんだなぁ)
 そうすれば、3連休だ。

 V8ラインに応援に来ていることは過日に書いた。仕事のキツサも書いた。
 しかし、しかしである。
 やはり、やはり人、話せる人がいるのといないのとでは、大違い。

「この人に会いに行こう、この人がいるから、イヤでも働きに行っちゃおう」
 みたいに思うこともできるのだ。

 金曜日の夜も、今日も、職場のОさんが、車で私をうちまで送ってくれたのだ、仕事帰りに。
 それだけでも涙ぐみそうになるほど嬉しいのに、さらにこのОさんとは、仲良くなれそうなのだ。

「いい感じだなぁ、この人」って感じた「感じ」って、相手にも伝わって、おたがいに感じ合うものなのかもしれない。

 だから「ヤな感じ」だと、やはりおたがいにヤな感じをもち合ってしまうのかもしれない。
 相性? 動物的本能のなごり? これは何なんだろうなぁ、と思う。

 私はどうしようもなく私でしかないので、この私として、誰かとつきあう。接する。

 そのとき私は、相手に安心してもらいたい気持ちがはたらくらしく、「オレってこういうヒトなのよ」ってなことを、いろんな話を通して伝えようとする。

 あんましそんなこと、しなくていいのかもしんないけど。

 とりあえず、自分。そして、チャンと相手の話ももちろん聞きます。
 そんなふうにしてつきあいが始まって、そうすると、ラクなんだよね、その人と一緒にいることが。

 相手も、ラクになってくれたらいい、なんて、やっぱし考えなくていいのかもしれないけど、やっぱしやっぱし考えちゃう。
 だって人って、ひとりだけじゃ、人間関係、できないもんナ。

 自分をだいじにする= 相手をだいじにする、相手をだいじにする=自分をだいじにする、こうやって、なんか、やっていきたいんデス。

「あぁ、やっと終わった」みたいに終わる飲み会って、義務的でムリがあって、「何のために一緒にいたの? 疲れるためかい!」って感じになるけど、あんましそういうふうに人とつきあいたくない。

 飲み会の真っ最中でも、飲み会が終わった後でも、「自分が自分でいられる」こと。
 要するに、人と一緒にいて、接していて、じゃまたね~ってバイバイした後、「あ~疲れた!」って、なってほしくないし、なりたくない、ということなんです。

 人との関係、義務なんかじゃないし。
 ただでさえカネのためにムリして働いてんだから、せめて、人との関係くらい、気楽に、ムリせず行きたいよ。って、思っちゃダメ?