先日亡くなったマンガ家の松本零士さんは、ライフワークに「戦場シリーズ」を描いていたという。
戦時中、ものすごい能力をもった戦闘機を日本は持っていたとかいないとかで、それは世界に誇れる幻の戦闘機だったらしく、マニアの間でもその細かいリアルな描写は鳥肌モノだったらしい。
といって、このマンガ家は戦争を好んでいたわけではない。
そういったメカニックなものが好きだっただけで、人を殺傷する物が好き=平和的でない、というのは、偏見であるらしい。
戦後、生きて帰還した数名の「元日本兵」が、家族を戦火で焼かれ、身寄りをなくし、自殺している現場を松本少年は見たという。
アメリカ兵に身を売る女性の姿を見て、いやな気持ちになったが、のちに「生きて行くためにそうしていたんだ」と知り、そうさせた戦争というものを憎んだという。
登下校中、腹をすかせて歩いていると、アメリカ兵が「めぐんでやる」とばかりにお菓子をくれようとした。
だが、松本少年はけっして受け取らなかった。
アメリカに、絶対仕返しをしてやる。
父親にそう言うと、バカなこと考えるんじゃねえ。そうやって戦争が始まっちまうんだ。いったい、どれだけの人が死んだと思ってるんだ。戦争なんか、二度とやっちゃいけねえんだ、とひどく叱られたという。
15歳でマンガ家になった松本少年は、以来マンガを描くとき、「誰も傷つけない」ことをいちばん気をつけて描いてきたという。
歴史をよく勉強して、民族的な差別を受けた人たちが傷つかないよう、また差別をした側の人たちも、それを読んで傷つかないように。
こっちが悪、こっちが正、ではなく、どちらも尊重する。
「宇宙戦艦ヤマト」の悪役のデスラーにも、地球を侵略せざるを得ない理由があった。
そして彼にも愛する人があった。
でも戦争は、それらすべてを巻き添えにする。
大人になった松本少年は、まずしい国に行って「めぐみ」を求められると、相手が幼子であっても、ひざまずいて、どうぞ受け取って下さい、という態度でそれをしたという。
尊重すること、人の自尊心、人間の尊厳のようなもの?を傷つけないよう、尊重すること。
そうせざるを得なかったのだろうと想像する。
戦争体験で傷ついた、松本少年の自尊心があったればこそ、そうすることができたように思われる。
自身に、強い自尊心があったろう。それは諍いを起こす原因にもなるはずだ。
だから起こさぬよう、持って行くこともできるのか。
相手を、尊重すること。
強く、あらねば、できないことだろうか。
松本零士といえば、「ヤマト」をめぐって裁判を起こしていたイメージがある。
でも、戦闘機や機関銃のメカニズムが好きだったのと平和主義であったのが矛盾しないように、「それとこれは別」という、明確な一線が引かれていたのだろうと想像する。
「あれもこれも」でなく、「あれかこれか」を、自身の中でしっかり調整して、好きな戦闘機を精密に描き、好きなマンガをずっと描かれていたのだろうと想像する。
ほんとは、パイロットになりたかったのだそうだ。近眼になって、その夢は断念した。
でも、自分自身の操縦、何より大切な操縦に、長けた人だったように思う。