安定・不安定

 眠れぬ夜はつらい。昨夜がそうだった。

 自律神経の問題だろうか。眠りたい、眠りたくないの意思に関わらず、「寝る」という神経、「自律した神経」の。

 気温は暖かいのに、そして風邪も引いていないのに、寒い寒いと感じる時もある。これも、「暖かい」と感じる「自律神経」の不調だろうか。

 文字ヅラだけ見れば、「自律神経」、たいしたものである。僕なんか未だに自律できていないのに、自律神経はしっかり自律なさっている様子だからだ。

 ああ、寝たいと思う時に、思い切り眠れたらどんなにいいだろう。

 自分の身体もコントロールできないのに、この世に不平を言ったり、もっとイイ世の中になればいい、などと願うのは、足元を見ないで富士山に登ろうとするが如しだ。まずは自分を、この足を、である。

 寝るのも体力が要るようだから、やはり体力が落ちているのかもしれない。

 だが若い頃から眠れぬ夜はあったし、希望がない、希望がないと嘆く時間も多かった。何も、今に始まったことではない。なのに、身体の不調を医者に診せれば、たいてい「加齢のせいです」と言われるらしい。トシのせいと言われれば、ああそうですか、としかこちらも言えない。

 極端な食欲も、昔からこうだった。性欲は落ちたが、その気になれば全然大丈夫。「モノ覚えが悪いわね。トシのせいでしょう」と言われたことがあるが、昔から僕はモノを覚えるのに時間が掛かった。何か具合が悪いと何でもトシのせいにされがちだけれど、自分は生まれた時からこういう自分だった。まわりが勝手にトシを理由に僕を蔑み、疎ましがっているのかもしれない、と思ったりもする。

 すると自分も、そんなまわりに流されそうになる。自分の自覚する自分と、まわりが他覚(?)する自分との差異は、こんなところにも顕われる。そして「僕は僕だ」と胸を張れるほどの自信はない。

 とかく、人は理由を欲する。キメたがる。「~のせい」にしたがる。

 すると、とりあえず安心するらしい。原因が、分かったような気になるからだ。

 僕はその点で、もしかしたら普通でない思考回路なのかもしれない。ほんとうの理由、原因なんて、分かりっこないじゃないか。コレ、という1つだけの理由で、それ「だけ」の単純な理由で、コトは片づけられないだろう。どうしてそんな、急ぐのか。

 なぜそんな決めつけたがるんだ?自分が安心したいためじゃないか。その自分とは何なんだい?
 原因が分かれば対処ができる?その原因がほんとうの原因でない限り、あさっての方向へ向かうばかりではないか。

 ほんとうに考えもしないで、一体何を安心しようとしているんだ?理由を見つけて喜んでいるようだが、それはきみが自分で考えて見つけた理由なのか?レンタル衣装屋から借りてきた、借り物の防御服じゃないか?

 べつに、きみを否定しているんじゃないよ。きみは、自分でほんとうに考えたのか、きみの頭で、きみの言葉で、ほんとうに考えたのか?───という具合に、思考が行ってしまう。そしてひとりだけの、頭の中に旅に出る。

 僕は、あまり精神の安定というものを知らない。自分自身に対して安定するということがない。そういう時はあっても、基本的に不安定である。いつもニコニコして人当たりが良いとよく褒められたけれど、自分に対しての当たりはよくない。

 精神も肉体も常に変化しているし、安定というのは果たして何をもって安定というのかと思う。

 ほんとうというものを、僕は知らない。知っている「気」がするだけである。
 この「気」が、自分にとって確かなようなものだ。そしてそれを、その気の確かさを人に説明することはできない。手術して摘出した臓器を、「これが胃潰瘍の原因です」と医者が親族に見せるようなことができない。
 でも、しかし、それでもこの「気」、何か感じた、感じるという自分にとっての確かさを拠点に、生きているということだ。