観てしまう、きっと好きなYouTuber

 好みが分かれるだろう。配信者自体が、リスナーを選別している、とも言える。

 観てくれる人なら、誰でも大歓迎、とする人ではない。

 週に三日四日、ほぼ毎日の週もある。よく「ライブ」をしている人である。

 この人にはアンチも少なくない。というか、それは一部であって、大多数はもちろん彼のことが好きで、そのチャンネルを観ているのだ。

 そのライブ放送では「スパチャ」というのも飛んでくる。いわゆる「投げ銭」。

 パチンコ系YouTubeで、彼はいつもパチンコをしながらスマホを見て、届くコメント(チャット)を読み、それについての自分の意見を言い、ライブ放送をしている。

「死にたいのですが、どうしたらいいのでしょう」といった人生相談的なコメントが、時に来たりする。

 彼は、「俺はお前を否定しないよ。死にたいと思うほど、悩み、苦しんでいる、そのお前を俺は尊重する。死ぬな、なんて言わん。でも死ぬなら、その前にスパチャくれ。俺に金をくれ。死ぬなら、金いらんだろ、俺にお前の金をくれ、全財産をくれ」などと言う。こんなふうに対されたら、相談者も笑ってしまうだろう。観ていた僕は、笑った。すごい回答(?)をするなぁ、と思って。

 またこの人の凄いところは、アンチを排除しないところだ。悪口を言って来るコメントをブロックしない。しても、また解除して、アンチなコメントをする人を受け入れようとする。

 悪いことを言っても「許された」人は、だんだん悪いことを言わなくなる。

 俺も、ひどいこと言ったりしてますからね。彼は、自分も「ひどい人間」であることを自覚している。

 自分がそうなのに、相手を気に入らない、ひどいヤツだとして排除するようなことをしない。

 そういう相手を受け入れてこそ、人間として成長できることを、彼は知っているのだ。

 かなり「言ってはいけないようなこと」を彼は放送中に言う。政治、宗教的なことも冗談のように言う。「まじめ」な人には反感を買い、嫌われてしまいそうな事をだ。そしてこんな事を言ってはせっかくファンになってくれた人も離れてしまうかもしれないことも自覚している。だが、そういう事を言ってしまう、言わざるを得ないのが自分であることを知っている。

 なかなかYouTubeの収益が伸びないことに悩んでいる。だが、その自分にしっかり責任を抱え──彼には女房子どももいるのだ──ガンバッテいる。

 彼を観ていると、もし僕にもう一人の自分がいたとしたら、彼のような人間なのではないか、彼は自分の分身、もう一人の自分なのではないか、と思う時がある。