過食、過剰とは?

 小旅行から帰宅。すっかり夏! 湿気と暑気、バテる、バテる。

「自分にムリをしない人間関係の仕方」を志したが、結局ムリをする(あとから疲れる)のが僕の関係の仕方のようだ。いや、関係し合っている最中は、楽しがっている時もあるし、何かムリしてるなぁとその時点で既に感じている時もある。

「楽しがっている時」は、自分はもちろん、相手も楽しんでいてくれているような時だ。後者の「ムリしてるなぁ」という時は、たとえば今は沈黙していればいいのに何か自分が喋らなくちゃという義務感に駆られ、喋ってしまうような時。

 そのような時は、たいてい相手も楽しんでくれない…ような気がするし、実際そんな感じがする。

 何か喋らなきゃ、とか、こうしなきゃ、という義務感。

 義務感? 自分がただ、こうすればいい、こうしたらいいんだ、と思っているだけじゃねーか。

 そういう「感」に、いつも圧せられている。こうする「べきだ」と絶対化さえして。

 単なる思い込み。取り越し苦労。そんな時間に占有されて、そしてそんな時間の多くを自分の時間にしてきたと思う。自縄自縛ってやつだ。

 好きこのんで、自分で自分を縛っている。そしてああ、不自由だ、自由になりたい、などと、よく言えるものだ!

 だが、僕は信じているのだ、この「自分」から見える世界を。そこから、ああ今この人はこう感じているな、とか思って、それを基軸に自分の言動を相手に対して実施するのだ。

 ところで、昨日埼玉から帰宅して、チャーハンを作った。ビールと一緒に食べて、お腹もよくなった。だが、まだ何か食べたいと思う。おせんべいを食べたり、ポテトチップスを食べたりする。

 お腹はいっぱいなはずなのに、口淋しいのか、何なのか、何か足りないと感じる。これが、この頃の悩みのタネだ。「腹八分目」がいいことは分かっている。身体も、その方が軽く、喜んでいる、と感じられる。

 でも、「足りない」。何か食べたい。ほんとに喜んで食べているのか、食べている最中、よく分からない。ただ「食べている」、このことに・このことだけに、満足している気がする。

 一体、何が「足りない」のか分からない。もともと極端な性質らしく、どうしても過ぎてしまうようだ。食べる時はいっぱい食べ、食べない時は全く食べない── そんなふうにやってきたが、その食べる時、いっぱい食べて、ほんとうに満足することができなくなったようだ。

 食べ過ぎても満足しない。足りなければ、もちろん満足しない… 八分目で満足すること、これがいちばんいいと思っているのだが。

 何か食べて、ほんとうに美味しいと感じられるのは… その日起きて、しばらく時間が経った後、最初に食べる、納豆ご飯だ。ほんとにお腹いっぱいになるし、美味しく、そして満足する。