心は、その対象を見て反応する。対象がなければ、心もないようなものだ。
見るのは眼だが、鼻、耳から入ってくるものにも反応する。いい匂い、いやな匂い、いい音、いやな音…。
眼、耳、鼻は、それぞれの機能を果たしているだけで、かれらが「いい」「いやだ」を判断するとは思えない。
判断するものは、別のところにあるもののように思える。それは一体、何なのだろう?
前記した、尼さんとすれ違った時、彼女は確かに笑った。どうして笑ったのだろう… そんなこと考えても仕方ないが、とにかく印象、心象に残る、忘れられぬ、忘れてはいけない・ならないようなひとだった。
そう、もう二度と逢えぬ、単なるすれ違いだったけれど、眼にできないひとだろう。
しかし、大袈裟かもしれないが、あのような姿勢…すがた、で、この人生と呼ばれるようなものも、歩いて行こう、と思わせてくれる、それほどにぼくの中に入ってきた人だった。
確かに、黒い袈裟を着て、きれいに剃り上げた頭、それは印象に残るいでたちだったろう。しかし、それ以上の、何かが感じられた。
ぼくに、よこしまな心があったら、こんなことをツレアイに言わなかったろう。帰宅して、ぼくは彼女に言った、「こんなひととすれ違った」と、前記事に書いたようなことを。
すると彼女も、そのひとを見たことがあるというのだった。
そう、凛として、黒い袈裟を着て、きれいに頭を剃った…
しかし、ほんとにただ道ですれ違っただけなのに、こんなに心に入ってきたのは初めてだ。恋を求めていたわけではない。シンプルに、ただそのままに、入ってきたのだ…
ぼくの求める、「人生の歩き方」があるとしたら、…あのようなすがた、あのようなひと、なんじゃないか…。