昨日の朝、僕はここに「夜のこと」を書いた。
要するに、自分はよく厭世的になる、ということ、夜寝床に入れば必ずいろんなことを思い出し、堪らない気持ちに苛まれる、ということを。
だが、昨夜は、そんな心地にならなかった。ただ、特に何も思わず、寝床にいて、自然のようにそのまま寝た。
思い当たることがある。昨日僕は二時間以上歩いていた。それで疲れて、コトンと眠れた──わけではない。
歩き方が良かった、ように思える。先日すれ違った尼さんの、静かに淡々と、暑気なんて気のせいですよ、とでもいうふうに歩いていた姿を、真似てみたのだ。
視界は、僕の眼の内に限られる。この外へ行くことはできない。だが、この視界の範囲で、充分であること… 足元、その先の地面、もうちょっと先の地面、この視界に入ってくる、この眼に見える「世界」を、よく見て歩いた。
よく、よく見て歩いた。これが今いる、今僕の歩いている、世界なんだ、と思いながら。実感しながら。「体験」しながら。
気持ちは、静かだった。まわりの目も気にならない。視界に入ってくる、この「僕の世界」、僕が眼に見える世界に集中して、でもそんな気張らずに、落ち着いたような気持ちで歩き続けた。
こんな歩き方が、どうも良かった気がする。
暑いなあ、暑いなあ、と、この世を恨むように歩くのでなく、うん、そう、ここが今自分のいる世界なんだ、と確認するように歩いた。
そんな歩き方が、いつも寝つきの悪いのに、昨夜は水が落ちるように眠れた、因ではなかったかと思う。
そう、今自分のいる世界はここなんだ…
睥睨するでもなく、嘆くでもなく。今自分は、ここにいる、ここにいて、ここが僕の世界であるのだ。そんな気持ちで歩いた。