忍辱(にんにく)

 今日もぼくは歩いたのだ。
 何日も、毎日1、2時間歩いていると、腰から下が棒のようになることもなくなってきた。
 歩き終えると、疲れる。歩いている時点で、すでに疲労を感じてもいる。
 が、家に無事たどり着けば、不思議な心地よさを身体から感じざるを得ない。
 これからも、とにかく歩こう。

 先日、電車に乗って、美味しいと評判のラーメン屋に行ってみた。
「ニンニクを入れると、さらに美味しくなります。お試しあれ!」
 との貼り紙が、店内の壁に貼ってあった。
 テーブルには、ナマのニンニクが、皮をむかれた状態でゴロゴロと、椀の中に盛られていた。
「ナマで食っちゃっていいのかな」
 ぼくは向かい合って座る家人に訊いた。
「…臭くなるわよ」
 汚物を見るかのように家人は椀の中のニンニクを一瞥。

 ラーメンが来て、ぼくはナマのまま、そのニンニクをラーメンの中に入れた。
 1つ、2つ。口の中でラーメンを咀嚼しながらニンニクをかじる。
 うーん、元気が出てくる気がする。
 横の壁を見れば、
「ギョーザにもニンニクを! 潰して、ご賞味下さい。美味しいですョ」
 みたいなことが書かれた貼り紙があった。

 気が付かなかったが、片手で簡単に潰せるニンニク潰し器のような器具が置いてもあった。
「でも、ラーメンには潰して食べろ、とは、書いてないよな」
 ナマのニンニクを2コ、ポリポリ噛みながらラーメンを食べた。
 店を出て、路面電車に乗った。
 ムムムッ、便意だ、便意の到来。
 突然だった。

 電車の心地よい揺れと陽射しの中で、隣りに座る家人はうつらうつら眠っている。
 ぼくは、冷や汗をかいていた。
 気を許したら、モレてしまいそうな情況だった。
 途中で降りたい。
「○×駅で降りよう。…うんこしたい」
 ○×駅なら、家にも近い。
「うんこ?(笑)、○×のそばの三角公園に、トイレあったわよ、たしか」
 涼しげに家人が言う。
 家人と連れ立って屋外に行く時、我々はセックスレスであるにもかかわらず、常時、手をつないでいる。

 ○×駅で下車し、手をつないで歩いていたが、ぼくの手は冷たくなっていたそうだ。
 ぼくは限界を感じて走り出した。
 その日は、どうでもいいが、パンツをはいていなかった。
 ここが地球だろうが金星だろうが、どうでもよかった、間に合いたかった。
 無事に、公衆便所でするべきことを終え、外界へ出ると、家人が立って待っていた。

「… ほんとに、すぐくるのねぇ」腹を抱えて笑われた。
「… ああ、もう、今日1日の労力のすべてを、使い果たしたみたいだ…」
 放心状態でぼくは答えた。

 再び手を握ろうとしたら、
「手を洗って!」
 と言われた。
 手を洗って、拭いて、手をつなぐと、いつもの暖かな手に戻っていたそうである。
 ニンニクは、テキメンである。
 潰して、食すべきだったか?
 否、結果は同じだったろう。

「2コ目が、多かったんじゃない?」
「確かに。それは感じてた。でも、1コじゃなぁ…」
 ひとりで散歩していても、便意の恐怖に、たまに想像上で襲われることがある。
 だが、そのとき、ぼくは歩いているのだ!
 コンビニにも、スーパーにも、行けるのだ。
 電車の中の、あの閉じ込められた空間から既に解放されていて、まるで自由に、駆け込めるのである。
 そう思えるだけでも、やはり、歩くということは、素晴らしいのだ。