タバコ屋と私

 以前、10年位前か、奈良は京終(きょうばてと読む!)駅前のマンションに住んでいた。

 陽あたりが良く、ベランダも広く、スーパーも近く、いい場所だったと思う。

 タバコ屋もあって、そこのおばあちゃんとは仲良くなった。1カートン買うと、ビールやらサランラップ、洗剤なんかをくれた。

 そのおばあちゃんが、どうも身体の調子が芳しくなくなり、お店をたたむことになった。可愛いおばあちゃんで、ぼくは大好きだったのだが、御身体がつらそうにしていらっしゃるのは、見ていてもつらかった。今も、たまに想い出す。元気でいらっしゃるだろうか…。

 それからぼくも市内の一軒家に引っ越し、タバコ屋ジプシーが始まった。どうも感じの悪いタバコ屋が多かった。そのたびに、あのおばあちゃんを想い出した。

 結局落ち着いたのは、JR駅の方にある、小さなタバコ屋だった。ちょっと立派な感じのタバコ屋もあったが、そこもご主人が認知症気味になって(応対の仕方でわかった)、ご夫人が──こちらもご高齢であったがしっかりなさっていた、店を閉めるんです、主人がねぇ…というお話をされた。

 で、現実の消去法となって、現在の小さなタバコ屋を利用することになったのが、7、8年前か。

 最初、行った時はびっくりした。20代?30代の、うら若きお姉さんがそのタバコ屋の主人?であったからだ。

 何となく恥ずかしくなって、はじめの数年は、ただタバコを買う・売る、現金を渡す・渡されるというだけだったが、近年、この頃になって世間話みたいな話をするようになった。

 ずっとこのタバコ屋に通っているのは(といっても月に3、4回だが)、このお姉さんがチャンとしているからである。

 チャンとこちらの目を見て「こんにちは」とか「ありがとうございます」を言う。当たり前のことと思うが、なかなかこういう対応をいつもしてくれるお店、人は、少ないように思う。

 で、こちらも、こんにちは、ありがとうございます、と言う。当たり前のことだが、こんなことを当たり前のように言えることが嬉しいと思う。

 これだけの話である。

 たぶんこのタバコ屋は、ぼくが購買不可能になっても、存続を続けるであろう… 今までは、タバコ屋側が高齢で店を閉めることになったが、今度はぼくが高齢になり、それまで生きているとすれば、こちらが「閉める」側になる。

 それにしても、世間はタバコにほんとに寛容でなくなった。吸う側のマナーにもよるだろう。

 そう、あのジタンも、このタバコ屋では快く注文を受け付けてくれて、あの素晴らしい味を愉しめた…。

 タバコが嫌いな人には、けむりが行かないように吸う。ポイ捨てなんか絶対にしない。

「当たり前」のマナーを守って、ひとときの贅沢、「喫煙」を愉しめる社会になってほしいものだ。