直感力

 直観、直感はそれ自体すでに力を持っているものだから、何もわざわざそれ以上、研磨する必要もない。

 そこから始めればいいだけのことで、何も思い煩うことはない。

 問題は、その力が、外部から圧迫、その外部とは数多ある情報、溢れすぎている情報、それに踊らされるということも含まれて、もはや直観・直観はホウホウのてい、青色吐息、虫の息である。

 直観・直感は、その人に備わった性能が、外部に向けて初めて目が開かれる、外部に対して自分の種が芽を出す、最初の一歩だ。それが、外部に飲み込まれたら、目は行き場に困窮、あれやこれや、目移りするばかりで一向に落ち着かない。

 外部に飲み込まれた胃袋の中にいるのに、あたかも「わたしが飲み込んだ」と、まるでこの世を制したかのように振る舞う人もいる。この胃は、なかなか強固な殻のような、強化ガラスの水槽の中のようでもあって、ぶち当たってもこちらが傷つくだけである。跳びはねて、いっそ出てしまっては、今度は息ができない。中にいては息苦しく、外へ出たら息の根が止まるようだ。

 内と外にしか、居場所はないのだろうか。あまりにも狭いよ、それは。

 いるではないか、おまえが。おまえが、いるではないか。そこは全く、宇宙だよ。おまえの中が宇宙だよ。はら、こんなに想像、考えて、とりとめもなく、足や羽をバタつかせ、飛んでいける場所がある。