交流のないブログ

 このブログではコメントを開示していない。開示しようにも、コメントそのものをもらったことがない。

「今はコメントは古いですよ」みたいな記事をどこかで見て、ああそうかと思い、コメントの欄を消したのだ。その記事は Twitter?とかをやっている人に限っての「古い」だったのだと思う。

 で、頭のわるい私は、Eメールアドレスを載っけ、さらに「お問い合わせ」のところ(アフィリエイトをやっていた頃のなごりですね)に「コメントもこちらにお気軽に」などと書き、載っけた。

 もちろん、反応は何もない。つまり、私は誰とも言葉の交流をせず、ひとりでたんたんと文章らしきものを書き、それだけを開示している。

 これは私の弱点と思えるのだが、けっこう自由な感じがする、というのも、どなたかと親しく?なったりしたら、かなり私はその人を気にしてしまう。こんなことを記事に書いたら、この人に嫌われてしまうだろうか、とか。こんなことを書いたら離れてしまうだろうか、とか。

 とにかく私は「私」を書いているので、記事を、つまりこのブログを好きになってくれた方がいらっしゃるとしたら、私はその人を、その人との関係をできればだいじにしたい、嫌われたくない、と思ってしまう。で、「こんなことを書いたら…」と、不安になってしまうわけだ。

 ところが、そんな方は、このブログを始めて10ヵ月、ついぞ現れなかった。いいね!こそ、またフォローこそ頂いたりしているが、やりとりは皆無である。

 はたして、ほんとに私は、人に読まれているのだろうかと疑心したりする。

「好かれたい」「嫌われたくない」の前に、人が、このパソコンの向こうに、ほんとにいるんだろうか、とも思ったりする。まあ、でも、このパソコンの前に私が座り、何か書いている(打っている)のは確かなので、この私だけに向かって書くことができている。

 そう、日常生活、つとめた職場なんかでも、「人の反応」というものを私はとても気にしてしまう。これはほんとうに、私の弱点である。でも、そのおかげで、何だか「コミュ力」があるとか、何やら「やさしい」みたいな、こちらの理解を越えたような「人」が実際にいてくれたりした。

 人の反応を気にする、人の顔色をうかがう、というような私の気弱さ?は、きっとそんな、悪いものではなかったと思う。良いも悪いもない、それが「私」であるんだろうからだ。

 しかし、けっこう強くなったような気がする。何に対して? 自分に向かう、すなわち書く、という行為へのベクトルが。

 そうありたい。

 こんなことを書いたら、とか、こんなことを言ったら、こんな態度を取ったら、という「相手の顔色をうかがう」自分より、「私は私」というような意識、心の動きが、そっち・・・でなくこっち・・・に、強くなった… 気がする。微弱だけれど。

 この「気」が、ほんとにそうだったらいいのだけれど。