でも考えてみれば、特に外に行く用事もなく、行きたいとも思わず、家にいるというだけで、「ひきこもり」というのもおかしな話だ。
一体、何が問題なのだろう? 健康面では、歩いた方がいいかもしれない。しかしそれも、歩きたくなったら歩くだろうし、太陽の光が気持ち良ければ行きたいと思うだろう。
だいたいが、ヒョンなことから始まるものだ。窓を開けたら、風が気持ち良かったから外へ行こうとか。
もう家にいるの、飽きたとか。好きな youtuberの影響で、気軽に外へ行ってみたいと思うとか。
私にはほとんど友達がいないし、滅多に会うこともない。携帯電話はただの置き物と化している。メールのやりとりもない。
こう書くと淋しくなってくるが、これが現状なのだから仕方ない。私は自分から、友達から離れていったと思う。
ところで、たとえば私の兄は、しっかり公務員をして、私と違って堅実に生きている人だと思うが、定年退職後、たぶん図書館と家の往復の日々を送っていると思う。今はどうか知らないが、だいぶ前にそう聞いた。
朝九時に図書館に行き、本を読み、お昼に一度帰宅してご飯を食べ、また図書館に行き本を読み、六時位に帰ってくる、という感じだったかと想像する。とにかく本が大好きなのだ。
兄嫁以外と、ほとんど「人間関係」はないような気がする。退職後は。
でも、それを「ひきこもり」とは言わない。図書館に行っていたとしても、図書館でひきこもっているわけだ。これは、九州に住む友達の「会社と家の往復だけの毎日で、ひきこもりみたいなもんですよ」という言葉が、この連想の源にある。
私も、特に人間関係があるわけでなく、スーパーと家の往復で、ひきこもりといえばひきこもり、という気はする。しかし… 一般に主婦(主夫)というか、家にいるのが基本、という人は、すると皆ひきもりになるんだろうか。
情報(?)によれば、昼食はホテルのバイキングなんかで友達とワイワイやる、という「主婦」の方もいらっしゃるらしいが、しょっちゅうそんなことできやしないだろう。よほどのお金持ちならできるだろうが、そういう人はたぶん限られている。
友達といっても、相手のあることで、相手に時間がなければ会う機会もない。
たぶん多くの主婦(主夫)が、基本、家にいるのではないかと思う。
ひきこもり、とは?
また情報(こんなのがよくないんだろうけど)によれば、親に頼って、つまり親と同居して、働きもせず家にいる、というのが問題であるらしい。
うーん。自分なんか、その子どもの気持ちがわかる気がするし、当然だろうとさえ思える。社会なんか魅力がない。家にいたいのは、当たり前だろうと思う。
というより、本人の人生だと思う。
親御さんは心配されるだろうが、その子はこの生活を選んでいるのだし(やむを得ないにしても)、先のことは誰にも分からない。
「家庭内暴力」で困られている親御さんに、どうしたらいいでしょう、と35年前、聞かれたことがあった。まったく、返答に困ってしまった。今も、こうしたらいい、なんて返答ができない。
親子関係、これは、何かどうにもできなさを感じることしかできなかった。こちらは、想像でしか物が言えない。何十年も一緒に暮らした、親子関係、その関係には、立ち入りできないような、どんなに想像してもハネ返されるような、何もできなさしか自分になかった。
ひきこもり。これが「問題」になってしまうのは、親御さんの不安から始まっているんだろうと思う。
そうして、この「問題」に対して自分は何も言えない。親子関係。この関係の前に、全く無力になってしまう。無力さしか残らない。
「ひきこもり」。「ひきこもらない」人が、まるでフツウであるかのようだ。
でももう、何がフツウだとか、何がイジョウだとか、もう、いいんではないかと思う。
子、といったって、人、だ。「この子は」というより、「この人は」として。
本人も、不本意かもしれない。でも、生きているんだから。自分なりに、生きてるんだから。
だめだ、やっぱりうまく言えん。