死があること! ここに慰めも感じられないとは!
不老不死でも願っているのか?
したらば、今度ぁ死を願うくせに。
尊重すること、その窮極はその人の死を、死にたくて死ぬ、その人の意思、つまりは死を尊重することだ。
「生きよ」などと言ってはいけない。同様に、「死ね」とも言ってはいけない。また、同様の行為もいけない。
尊重すること、人を尊重するとはそういうことだ。どこまでも相手の意思を尊重すること。相手の選択を尊重すること。
それもできないで、何が尊重だ。美辞麗句着飾って、理屈ばかり振りかざすのはいい加減にせよ。たいした理、理屈にさえならない理をぶら下げて、自慰にひとしい、勃起したペニスで相手に寄り添うふりはもうやめよ。
からっぽな頭ばかりの人間!
こないだ私より五歳下の、人の親と話した。テーブルを介して。戦争のこと、仕事のこと、自殺のこと… 彼は自分の意見を持っていなかった! にやにやと、仮面が地顔にへばりついたツラをして、「難しいですねえ」「難しいですねえ」「難しいですねえ」
挙句の果ては、「平和ですからねえ」
てめえがいる国が平和、戦争していないから平和だと? お前は何なんだ?
こちらだって社交儀礼はわきまえている。何もケンカするつもりでこんな話頭を振ったわけでない。確認したかった。お前はどんな人間かを。だいたい、分かっていたが。
なるほど。町ですれ違う人々から受ける空気、どうしてこうなったのか、この町、ひいては人、この世のようなもの、世界的な感じ、これがどうしてこうなっているのか、分かる気がした。一本の線、点、点、点が、一本になっていることを実感したよ。
他人事なんだよな、あらゆることが。そしてお前自身のことさえ、被り物、主体を持たぬ、客観をお前そのものとし、そうなっていることさえ自覚の余地もなく!
糠に釘を打つ空虚! なんと歯ごたえのない豆腐、手ごたえのなさ、からっぽさ!
この世がいくら虚飾に包まれ、それによってできているとはいえ。それが死ぬまでの人間の姿、この世のありようとはいえ。度というものがあるんじゃないか?
あの日はお前の義母の命日だった、お前がいかに自殺を、人の死というものをとらえているか、よく分かった。そしてお前のような人間に、子は育てられるのだ。この世は、なるべくしてこうなった、こうなる、そうして続いていく、然り、然り。
自省する人間の少なさよ。何を考えているのか。
年齢は関係ないね。若い人でも、内からしっかり、ちゃんと自分の言葉で意見を言える人を知っている。しかしお前は、そうでない。おもしろみも何もない。お前の溺愛する子に、お前自身がほんとうに自分の身におきかえて考える、そうなった時に、お前がどうするか、だいたい予想はつくが。
しかし── 何だかんだお前の得意な、ばかげたほどの処世術、表面上の薄氷にもならないお前の土俵に私も乗っている。たぶんまた会って、笑い合って何やかやと表面上のつきあいをしてくだろう。
この世は表面上の、表象でしかないのだから!…