瞑想の記録

 二月の初旬に始め、約一ヵ月半が経った。
 自分には瞑想する時間がある── そう気づいたのが始まりだ。
 あのブッダが、時間があればとにかくやっていたという「呼吸を見つめる瞑想」。
 以前、近所のお寺さんの「マインドフルネス講座」に参加、配られた資料を元に、また通販でその原本を購入さえして、熱心にやっていた時期もあった。
 が、その本はとてもじゃないが… 僕のような根性ナシには、実践し難いことが書かれているように思えた。
 で今回は難しいことはヌキにして、ただ姿勢を正し、半結跏趺坐して、モーツァルトなどを聴きながら呼吸を見つめる、シンプルに、ただそれだけに徹するようにした。
 とにかくやることが大切、続けることが大切なんだとして。

 姿勢は不思議なもので、最初は真っ直ぐしているのに、いつのまにか、猫背になっている! また真っ直ぐにする… また曲がる… 足が異を唱える… 組み換える…を繰り返し、時間が過ぎる。けっこう疲れる、何もしていないのに。
 頭の中は、いつも何か考えている… 次から次へと… 考えまいとしても考える… 考えることがこいつの仕事のようだ… まじめなやつだ… ムリに止めまい、どうせ考えるんだから… 呼吸を見つめることを忘れないことだ… 目は二つある… 考える頭と、一緒に見れる… てな具合でジッとして、モーツァルトの一曲が終わればひとまず怪しげな瞑想も終わる。
 フリーメイソンの葬送音楽が10分ぐらいだから、これを皮切りにすることが多い。大ミサ曲は時間が経つのが早い。ブルーノ・ワルターのジュピターは最高だ…

 曲がりなりにも「やった」という満足感。瞑想、楽しいな。始めて、一ヵ月ぐらい?のうちは。身体は慣れてきた。調子に乗って結構やった日の翌日は、身体が拒絶反応して数分で終わる日もあったが。
 その翌日には立ち直って、また開始できた。が! 姿勢を気にしだしたら、呼吸も捻じ曲がったのは前に書いた通りだ。今も、呼吸があっちこっちに行くので… 袋の中で暴れる猫みたいに… 見つめるのがつらい。
 元はここだったのに、なんであっちゃこっちゃ行くんだ。正しい、元は、を意識したばっかりに、楽しい瞑想が苦しくなった。
 仕方ない、これも道程、どこへ行くか分かんないけど、どっかへ行く、それまでの道程、必要な時間なんだろう。毎日、できるようになっただけでもめっけもんだろう… ついでに、大ミサ曲とワルターがいいこともめっけた… 健康面では、整腸作用があること、片頭痛がなくなることも… 健康にこだわることはかえって不健康だからこだわるまい… 執着はロクなことにならない… そう、姿勢だ、精神的にも肉体的にも、正しい姿勢がいいんだ、生きてく上で、何としても。
 今ここ、今ここ。今ここに在るということ、ここに意識を、ということだ。過ぎたことや先のことに思いを馳せるでなく。今ここ以外にないんだ、そもそも、存在は。