呼吸を見つめる… 鼻先で、出たり入ったりを57年間休まず繰り返してきた呼吸を見つめる。
今もやれているか? ただ呼吸を見つめ、それによって精神統一をするという瞑想法。否! だんだん、やってくうちに変化した。腹式呼吸を意識したり、姿勢は真っ直ぐかどうかを意識するようになった… 見つめる、見る=意識するということ。意識を集中する、呼吸に。呼吸だけに。が、「だけ」でなくなった。
呼吸に意識を置いていることに変わりはないが、鼻先だけでは収まらなくなった。もともと、集中するといっても、完全に集中することは稀だった… いろんな想念が頭を巡って。だが、それも許せるようになった。呼吸への意識を忘れずにしながら、想念も見つめるようになった。ある想念に逢着し、それに対する時、心はどう変化するのかも見つめる。あくまでも呼吸への意識、呼吸を見つめることを基底にして。
毎日続けていると、自然に身につくようだ。ピン!とし過ぎる姿勢だと腰に悪い。どっしりと、構えた姿勢がいい。鼻先だけに意識が集中しなくなったから、あちこちに呼吸のベクトルが行くのも当然だと思った。鼻から出た息、その先を見るようになったから。頭の天辺から息が天に向かう、そんな意識もするようになって。鼻から体内に入った空気が、足の下、かかとの下へ抜けるような気にもなって。
呼吸の行き先、帰り先。でも、二度と同じ空気を吸ってはいない。
「長い呼吸を何分間やる」「短い呼吸を何分間、次は…」と指南していたマニュアル本もあったが、ブッダの時代に時計があったと思えない。あのマニュアル本も、マインドフルネスという、ちょっと流行った波に乗って、その仕方を書いたにすぎないように思う。具体的で実践的だったかもしれないが、とんでもない! あれを完全に実践した人がいるんだろうか? それにあれはブッダでない、べつの、えらいお坊さんが著したものだ。経典にあった「瞑想の仕方」ではあったろうが…
本に示された仕方は、どこまでも参考までに、だ。これがいい! ベスト!というものは、ブッダは個人個人の内に求めたはず。万人に向かって「これが最良です」「こうしなさい」なんて、そんなことを彼は言わない。瞑想は自己と自己の対機説法のような感もする。
人が人に与え得るのは、自己への気づき。あとは、自分で何とかなさい── シンプルでいいと思う。難しく考えることはない。約三ヵ月か、まじめに瞑想をしていて、結局自然に任せることになっている。そうして自然にやっている。続けることが大事、とも思わず。習慣化したようだ。