長野は、善光寺に行った。
なんで牛に引かれて善光寺、なんで牛に引かれて善光寺、と、頭の中で繰り返しながら道を歩くうちに、左手に将棋の駒の形をした看板が見えた。
そこに書かれていたのは、
「善光寺参道(敷石)
伝説によると、平兵衛は伊勢出身で、江戸に財を成したが、長男は放蕩で寄りつかなかった。
ある夜、盗賊が入ったので突き殺すと、それが我が子であったという。
平兵衛は世の無常を感じ、家を後継者に譲り、巡礼の途中で善光寺に来て、諸人の難儀を救うために敷石を寄付した。
平兵衛の没後も、子孫は敷石の修理をしていたという。」
それだけの話である。
しかし、何か胸を突くものがあった。この放蕩息子は、自分ではないかということに思い当たったのだ。
そして「世の無常を感じ」巡礼の旅に出て、敷石を詰めずにはいられなかった平兵衛も、自分に遠くない存在に思えた。
── 私は、罪をつくりました。せめて、その罪ほろぼし、させて下さい。
自分にとって、生きる意味、これではないかと思った。