そんな感情から、おかしくなるんだ。
この世も、世界も。
つまりは自分の世界も、他人の世界も。
「人間、みんなそうだろう」「人間なんだから」
〈人間〉を都合のいいように持って来て、それを盾にして。
自分の感情を守るために。
そして争いが、繰り返されてきたんだ。
怨み、嫉妬。これは人を魔物にさせる。強大な、根深い、圧倒的な感情だ。
差別され、虐げられ、この世に自分の祖国もふるさとも持つことが許されなかった人びとの存在。
差別し、虐げ続け、彼らを追いやり、排除しようとし続けた人びとの存在。
彼らにとって、この世は、この人びとは、怨みの対象でしかなかった。ほかにどう、この世を、この人びとを、思えよう?
自分たちだけが、貧しく、住む場所もない。だのに、この世の人びとは富み、住む場所を持っている── ねたみ、そねみ以外の、どんな感情が芽生えよう?
彼らはこの世の人びとの不幸を願い、不幸になればなるほど爽快だ。彼らの怨みは果てることはない。代々、何千年にもわたって受け継がれてきた〈怨み〉。
セリーヌはユダヤ人がそのような存在であると訴えたが、それは民族・人種的な問題の話ではないと僕は思う。人、ひとりひとりの〈存在〉の中に、その感情がある。ねたみ、そねみの感情はやがて途轍もない怨みとなり、自分以外の人間が不幸になればいい、と心底から願うようになる。
ジュール・ルナールという人が、とっくに言っているそうだ。
《自分が幸福であるだけでは、充分でない。他人が幸福であってはならないのだ》
他人の不幸は蜜の味。みんな、蜜が好きだって? 毒入りだよ、吐き出せ、吐き出せ!
くらべて得る満足、その薄っぺらさ、あさはかさ、あさましさ!
人の不幸を願う、その願いは、そう願う者にも返って、還ってくるだろうよ。
なぜならそう願う者も、人であるからだ。
自分が不幸になることを望んでいるようなものだ。たったの刹那の満足、私が幸福感を得たい、たったそれだけのために!