「特化ブログ」の哀しさ

 約20年ぶりぐらい?にブログをはじめて、驚いたことの一つ。
 スピリチュアル的なもの、マニュアル的なもの、「こうすればいい」的なものが、なんと多く、増えたかということ。
 ご立派な、ひとを「指導」できるような、「導ける」「導きたい」人が沢山いらっしゃることに驚いた。そして御本人は自分の承認願望に導かれている(ほぼ奴隷)になっていることに自覚がないらしいのだ。
 自覚はあっても、そんなことよりイイネの方が大事なのだ。いや、マイリマシタ。
 こりゃマトモな人はブログから離れていくな、と思った。

 おかしな世界だ。お前もそこで、こうして書いてるじゃないか、って? そうだよ、ここに身を置いているから、こんなことも書けるんだよ。半ば、絶望しながらね。
 人を指南できるような「特化ブログ」… こんな製品がいいですよ、も、全く信じられない。アフィリエイトのためで、人のことなんか何も考えちゃいないんだろう?

 第一義とするもの、何のためにそれをするのかという《第一義》が。
 そいつが二義、三義の結果や金銭に追いやられれば、虚構だらけになっちまう。