友達が欲しい?

「note」をやっていて気づいたこと。
 誰かと繋がりたい── があるんだな。
「ノベルデイズ」は「作品」を投稿する。
 noteにもその面はある。自作の詩、小説、写真を投稿する。
 カクヨム、なろう、その他投稿サイトも毛色はそれぞれにあるにせよ、基本は「自分の作品」を投稿する。
 自分がそこに投稿したものを誰かが見て、いいねを送ったりコメントを書く。誰かのを自分が見に行き、同様のことをし、「交流」が始まる。
 そこで、とっても仲良くなれた人がいるのなら、それで万々歳、そのサイト自体も貴重なものになるという仕組み。
「人」を目当てに、人との出逢いを求める、一つのツールであり、また自分の作品の発表の場であるということ。
 何を第一義とするかで、投稿サイトへの取り組み方も変わってくるだろう。

 自分の場合、人を求めてを第一目標に記事を書く── ベクトルを外に向けて、交流し易いような、人がコメントをし易いような書き方は、約20年前のブログで終わっていた。何しろ一緒に暮らせる人と出逢えたし、多くの人とリアルに会ったりしたからだ。素敵な人たちと出逢えたと思う。
 どうしようもない己を曝け出して書きながら、「とっつきやすい」ように書けていた。あれがブログ、現在でいえば note的なものへの、一つの正しい(正しさなんて幾通りもあるが!)書き方な気がする。

 今の求めは、… 理想だから実現しないものだけれど、「一つのテーマ、環境問題でも近所づきあいの事でも自殺でも何でもいい、一つの悩める問題を、一緒に考えたい」ということ。それも解決や結論を出すためでない、その一つの事を二人(コメントは大抵二人でやる)の間に浮かべ、見る、観ずる── ということ。それについて感じ、考えることを言葉にするということ。
 一人でもできることだろう、書く時はいつだって一人だから。
 だがとりあえず「相手」がいることで、その相手に向かって書きながらしかも一人で書くことができる。作品や記事にはならないが、それは一人一人の二人でが一つのことを見、真剣に考えられる、一人だけで考えるのとはまた違った道筋、面白さがあるだろう。
 今自分の求めるネット上の「友達」、人との関係は、そのようなものだ。