男女考(2)

 なぜ今更「男と女」のことを乾いた気持ちで書いているのか。
 やっぱり違うなぁ、という思いをしたからだ。「男と男」だったらこうはなるまい、「男と女」だったからこうなったんだな、と考えるきっかけがあった。

 逃げ込んでいる面はある。そう区分けすれば、淋しく納得ができる。分けることで、それ以上考えなくて済む。が、何かもやもやしたものが残って、もやもやしたまま進めている。
 特に何があったわけでもない。漠然としている。

「原始時代から男は狩猟していたんだ」と言っていた人もいた。女は家で男の帰りを待つ。ちょっと前までの現代だ。
「男はエバりすぎたんだよ」と大正生まれの僕の父は言った。
「いやほんとに違いますねえ、男と女は」と遠い目をして言う人もいた。
「違いを認めてから、始めたいですね」と言う人も。
「ハナから区別はイケナイでなく、考えて」と言う人も。

 話が逸れることになるかもしれないが、5、60年前、「親殺しも、他人を殺すのも、同じ量刑にする。でないと、差別になる」…(生命の差別になる、ということか?)そのような法案が通ったという話を聞いた。民意を反映して、とのことだった。
「親殺しと他人を殺すことは、違うだろう」とその人は思ったそうだ。
 僕も、その人と同じ思いを持った…

 もう、漠然としたまま進める。
 この空気感… 「恋愛論・結婚」についてのこと、考えることは沢山ある。まず女と男のことを考えたかった。法律がどう変わろうが、産まれた時に女か男かが分けられる以上、女と男は分けられ続けるだろう。どうしたわけかそうなっている。
 同性愛どうしが結婚し、幸せになればいい。大賛成だ。夫婦別姓も大賛成だ。区別、差別など無くなればいい。全くそう思う。
 しかし… 何も考えず、ただ区別差別はイケナイから、という理由だけでは、「?」が残る。

「子どもの人権」を主張する日本の子ども達がいた。人権。人間としての権利。守られるべきだ、大賛成だ… ただその仕方が… 人権、権利、これは… 理屈をつければ、内発からのものであってほしい。そこにこんな旗があったから、それもモットモな旗だから、それを掲げて、ワガモノ顔に掲げる、そういう仕方は違う気がする。

 考える、考える、ほんとうに考えることをせず、「正しい」からといって…。

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 そう、わかり合えないからこそ、わかろうとすることができる… 女/男に限らぬ、人間どうしの鉄則だ。
 わからないということ。自分のこともわからず、ましてや相手のことなぞを。
 勇気が要るといえば、要る。「わからない」を前提につきあうのだから。
 だからといって悲観することも悲嘆に暮れることもない。
 無意味でも孤独でも何でもない。相手も、同じなんだ。
「できる」こと、できるということ── それでいいんだ。
 それで全力であれば。
 できることをやれば。いいんだ、自分の全力、精一杯に。