でどころ── 来た道、行く道

 これが最後か、これが。と思う、と、これではイヤだな、と思う。そう、いつ、あの灰色の背広を着てネクタイを締めた彼が迎えに来ても、快く迎い入れ、喜んで行けるように、彼と一緒に行けるように、仲良く、笑顔で。
 ようこそいらっしゃいました、お待ちしておりました! 心底から、嘘偽りなく、彼を歓迎できるように。

 私は彼を信じているのだ… 信じようが信じまいが彼は来る。ただそれがいつか分からないだけだ… その時までの時を、私はただ過ごす、ここにいる。
 なんという慰め、なんという慰安! 微笑まずにいられようか、これを。
 いついらっしゃるのか。知らせて下さらない。必ずいらっしゃることだけを、私が知っている。
 私? 私とは誰か。彼とは、そしてあなたとは。誰にでも、彼はいらっしゃる! この世あの世と、こちらにいる人間がつくったにすぎないもの。そんなもんじゃないものだ。

 こちらの世界に染まり… 染まらなきゃ生きてけない染め物のように染められ、鑑別され! 「あなたがたは、あなたがたにしか理解できない、あなたがたにしか通用しない、思考、言語を用いて、生きてくることしかできませんでした。いい/わるいなんて問題でもありません、それさえ、あなたがたにしか通用しない、あなたがたにしか理解できないことなんです。」

 そう、知… こんな知は、ちっぽけすぎることだったねえ! 存在はでかかった、宇宙そのものだった、肉体、身体、この〈殻〉、容器はありがたかった! それもこの世の話だったねえ!
 そう、その時は必ず来る… ありがたいことだ、だからここにいられた!
 きみは死と生を同列に扱えない、生にばかりこびりついて、ひっつき虫になって… くっついてる、離れたくない、こっから、と。
 不思議でたまらないよ。

 ああ、ここはこっちか、こんなこと言っちゃダメなんだっけ。おかしな話だ、彼も弱ってしまうよ、ほらしょんぼりして尻尾もしおれている、可哀想に、すっかり元気をなくしてる…
 理解されないって? それが「あなたがたの」だから「わたしたちの」限界なんだ、わたしがどんな「理解」をしたところで「わたし」のかぎりであるようにね。わたしがどんなにその向こうを感じていても、それは言語化し、理解下に置かれることはないよ。よしそうなったからって、それでどうなるわけでもない、とも思う。

 ただこの世でできる限りのこと、それはこの「私」としてやって来たし、やって行くつもりではある。ただあなたがいつ来るのか、… 彼だが、彼もあなたもこの際同じようなものだ── それが分からないからね、だからこうして書いていて、書き終えて、これが最後なのかなと想うと、まだ書きたい、これを最後は残念だ、と思う。

 いわば「死」が、創作意欲(!)の|でどころ《・・・・》なんだ。この世で、この世に云いたいこと。ここにいる間にしかできないことだからね、ありがたいことに文字もある、機械もある。思考を表象する道具、ツールがある。
 思考も一つの媒介かもしれないね、その前にあったもの、忘れたものを思い出すための。「今」の情況を通じて。
 辿ることしかできないのかもしれないね、嘗て来た道を、これからの道も、繰り返し── 一人の人間にとっては一度でも、人間としてはずっと繰り返し、過去と未来を辿り続けるのかもしれないね。

(ほれ、いいねがいくつ付いたの、いっぱい読まれたの何だのそんな数字や、他者の目なくして自己が立てないような、ダニみたいな承認願望を満たしたいだけの、偽善的な文章にウツツを抜かしてる場合じゃねえゾ…)

老夫婦|かめ
おや、小鳥がさえずってますね。おばあさんが言う。  牛も鳴いとるなあ。おじいさんが言う。  もう、今年も終わるのう。  そうですねえ。おかげさまでした。  わしは、何もしとらんけ。  いいえぇ、元気で...