しかし一体、何のために書くのか?
必ず顔を出してくる、「何のために」
自分が満足するためとはいえ
他者の評判、評価を介して得る満足ほど
不確かで脆いものはない
「権力志向だよ」かれは言う、
「他者から認められようとするのは、おまえに権力志向がはたらいているんだよ。権力志向の人間が、どんなに腐敗した人間になっていくか、おまえは十分知っているだろう」
「それに、よし認められ、刹那の満足を得たとて、それが他者の目を介して成り立つ以上、これほどうつろいやすく、あてにならないものはない。これほど惰弱なものはない。そんな満足を得ようとするでなく、おまえ、おまえの内に向かうことが先決だよ」
「内も外も、判然としない? 内の中も、とりとめがないって? わだかまりに向かう=そのために表現する、という公式がある。それは外にはない。おまえだけの内から、湧出してくるものだ。ふかく掘れば、潤沢な地下水脈に突き当たる」
「表層にとらわれて、どうしたら読者に振り向いてもらえるかと、乾き切った地面を右往左往するのは、おまえ、自分の手足を持たない操り人形と変わらないよ」
「自分の内なる潤いに手をつけようとせず、外にばかり根を向けて、枯渇していった枯れ木がたくさんあるよ。目に見える結果ばかりを追い求め、内実まで失ってしまったことが、現在の世界をつくった実情ではないか」
「これ以上、虚構に加担するな。おまえは、おまえの中から始まっていくんだよ。万物のいのちが、おのずから生まれ、育ったように」
何のためかは神のみぞ知る
この言葉に救われてしまう人間を
かの人は、「思考をやめた人間」と非難した
自己の内に息巻く神の
息の根を、まず止めよ、と
客観の奴隷になるな
主体的自己に目覚めよ、と