と書いて、何もそれはブログに限るまい、と思った。
ネット記事、それは常に流れるものだから、と書いて、何もそれはネットに限るまい、と思った。
吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は今も読まれているらしい。
その時かぎりのものでなく、たえず読まれ続けるものはある。
ひと昔前は、倉田百三の「出家とその弟子」がそうだったらしいが、今はどうなのだろう。
しかしブログで過去の記事が読まれるということは、なかなか無さそうなのだ。
書いていても、それは実感する。自分が、どこにも留まらない、落ち葉にもなれないことを痛感する。落ち葉に失礼だ。
もちろん自分が、そんな読まれないものを書いている自覚もある。
しかし、だからこそ、読まれれば嬉しさも倍加する。
刹那をおもう。