そう、これはほんとうにイヤなことだ。閉塞感、この梅雨空のような、雲に覆われて、それ以上突き抜けて行けないような閉塞感は、この「同じような価値観で息を吸うだけの烏合の衆」(ニーチェ風に)に依るところが大きいかもしれない。
地上に群がる愚民、とでもニーチェは言うだろう、そこから発せられる息、息、息! 「新しい人よ、目覚めよ」(大江風に)とばかりに、新しい人が現れたとしても、愚民どもの古臭い息が彼を殺していく。彼の吸えるはずだった、そして彼の吐き出す瑞々しい空気は、あの曇天の下、この地上の上との間で、愚民どもと同じように淀んだままだ。
彼は殺される、緩やかに、やさしく。彼はやんわりと口を塞がれ、手足をもぎ取られていく。執刀医は、民衆、大衆である。空気に潜む、バクテリア。浸食する、愚民どもの腐りきった息、この息が、彼を取り囲む。
だが彼は死んでいなかった!
…などと、いちいち大仰な文など書かなくていい。
スポルティーバのウェブ記事で、久保康友インタビューというのを見た。
プロ野球で活躍し、その後海外へ渡った選手。知らなかった。
詳しくは、その記事を読んで頂ければと思う。前、中、後編とある。もちろん、読み易い。
まあ、この人の発言に、ぼくはいちいちうなずいた。面白かった。あ、オレと似たような人がいた! そんな喜び。嬉しかった。気持ち良く外を歩き、帰って来てから読んだ記事だったせいもあるだろうけれど。
かいつまんで、ぼくの言葉で久保選手の話す内容、嬉しかった部分を書けば…
「意味のないことはしない方がいいッスよ」
「ルールに則ってるからって、汚いことする大人が多いんです」
「みんな、同じ価値観、考え方って、すごい怖いことだと思います」
「ぼくは好きなように生きますよ」
いつまで、こういう生活をするんですか?という質問には、
「飽きたら、やめます」
── イイなぁ、久保選手。
そういえばサッカーにも、久保竜彦という選手がいた。物凄いミドルシュートを放って、日本人離れしたようなプレイをしていたような。
こちらの久保選手も面白く、ぼくは好きだ。たしか今、やっぱり好きなことをして生活しているはずだ。だいぶ前に、そんな記事を見た。
久保って苗字の選手、面白い人が多いのかしらん。二人しか知らないけど。