宝もの(2)

 違うな。そう、昨日、最初は「~として」を考えたのだ。

「女として、もう終わっている」とか、そんな言葉を想って。

 すると、「女として終わった」(!)としても、しかしその女として終わった人は、その人としてそこにいるではないか、と思った。いるのである。

 すると、終った「女」とは? と思った。

 男である私は、「男が終わった」という時、たとえば一物がもう立たなくなったとか、そんな生理現象をイメージする。女の場合も、もしかしたらそうかもしれない。しかし、どうもピンと来ない。

 要するに昨日(夜だった)、自分に対して声を出して話していた時、「終わる」とか「始まる」というのには、結局そういうフレーム、「男として」や「女として」というような「として」が必要必須なのだ、と思ったのだ。これは、まるで確かなようだった。

「~として」。私として、だとか、「警察官として」とか「教師として」とか、親として、とか。この「として」から、失格が生まれる──合格はあまり生まれない。失格=ダメであること→「(ちょっと)終わった」というふうになる。

「~として」! これは、強い強い観念だ。イメージだ。法律のようだ!

 それを違えたら、「~として立ってきた・立たせてきたもの(自己)が終わる。

 しかしほんとうに、何が終わったというのだろう!