落ち着くまでの過程(1)

 この男、死のうと思っていた。今年五十六になったが、それまでに幾度、こんな思いに駆られたことだろう。とにかく事あるごとに、何の事がない時でも、もう、いっぺんに死にたくなるのだった。

 今回、彼がその衝動に駆られたのは── 話せば長いことになる。聞いてくれるかね?あなたの貴重な時間を、いたずらに潰すことになるよ。何か価値を見い出そうとして我慢して読んでくれても、何にもならないかもしれないよ。いや、もうそれは読者の黄金権だからね、こちらとしてはどうしようもない。

 モンテーニュみたいに「もし読者が誤解して読んだら、わたしはあの世から舞い戻って『それは違う!』、懇切丁寧に説明しよう」とするほどの気力も…気力はきっとこだわりだ…も無いと思う。

「そうか」とあなたを一瞥して、そのままじっとあなたを見続けるだろう。

 その私を、あなたがどう見るかも…私にはどうにもならない。

 さて、自殺の話だ。私が最初に死にたいと思ったのは九歳… 小学四年の時だった。もう何年も経ってから、あれは何歳の時だったろうと思い返して、確認したらそうだった。

 その最初の最初は、具体的に「死」というものを求めていなかったと思う。死ぬということが、どういうことか分からなかったせいだと思う。今も、よく分かっていないんだけれども。

「ここからいなくなりたい」そんな思いだったと思う。そこにいては、自分は人の迷惑になる。それは事実だった。そこは家で、私の育った家だ。両親がいて、兄がいて、祖母がいたよ。

 迷惑。単純な話、私は学校に行きたくなかったんだよ。どうしてか分からない。学校がキライだったとしか言いようがないよ。ところが、学校に行かないということは、一大事だったんだな。家の中が、見る見る暗くなってね、笑い声なんかしなくなったよ。陰鬱な、湿度100%の水槽の中にいるような… いや、くだらない比喩はやめよう。とにかく悲惨、陰惨たるものだった。それが毎日続くんだ。

 母は泣いたし、父も困り果てた様子で、兄はじっと耐えている感じだったかな。祖母も、もちろんつらかったろう。あまり家族と会わずに、自分の部屋に引き籠もっていたから、よく分からないといえば分からない。

ただトイレに行く時や、腹が減って何か食べたい時、家族と顔を合わせたね。二階に私の部屋があったのだが、冷蔵庫や食料、トイレは一階にあったのでね。

 お母さんが泣く、その原因が自分にある、このつらさ、胸のかきむしられる思い、分かるかい? そりゃ死んだ方がいい、いなくなった方がいいって思うよ。

 学校に行かないことは、大罪だったんだよ。「みんながしている当たり前のことができない」これは恐ろしい罪だった。

 しかもいじめられたとか、ひどい教師がいたとか、そんな具体的な理由がなかったんだ。私の登校拒否に、対処しようがなかったんだ、大人も。だって原因が分からないんだから。

 ただ学校に行きたくない、それだけだったんだけどね、ほんとの話。

 で、遺書なんかも書いたよ。「この家からいなくなりたい」が最初だったのだけど、その家も、いづらくてね。そしたら、もう、死ぬしかないじゃないか、って「結論」を出したんだろうね、子どもなりにさ。