私は、思い込みの激しい人間なのかもしれない。思い込みから、ぜんぶ、始まっている。だから思い込みによって終わる、つまり自殺する、ということになるのだろうか。
ひとりきりで、そうなるなら、誰にも迷惑にならないね。
でも、人間は社会的動物であるそうだよ。学者はそう言うけれど、手塚治虫のブッダも、そんなこと言っていたよ。
もっと大きく、「世界は繋がり合っている、どんな生命も、この世にある限り。それが失われたら、微妙なバランスを世界は崩してゆくだろう」と。
うん、ブッダは好きだよ。大きな思想、目の持った人だった。私は宗教アレルギーで、宗教というのは全くダメなのだけど、ブッダの考え方は大好きだよ。
哲学… 私がこんなことを長々と書いているのも、考えることが好きだからだと思う。好きでなきゃ、こんなだらだら書けないよ。書くことは考えることだし、私にとっては生きている証しのようなものだから。
老荘思想の「荘子」も、ほんとうだと思う。大きいんだ、世界が。ブッダもそうだけど、世界、宇宙、生命、そういったものをぜんぶ見る「目」を持った人だ。そういう書物だと思う。
… どこまで話したっけ。そう、自殺未遂か。いや、そんなたいしたことでないよ。「これを飲んだら死ねる」という薬があって(「最も安楽に死ねる方法」というフランス人の書いた本があったんだ)、それはもうだいぶ前に買ってあった。池袋のデパートで注文してね。
いつ買ったんだっけ。大学を辞めた後の頃だな。どこに行くにも、肌身離さず── といっても「東急ハンズ」の手提げ紙袋の中とかね。お守りみたいに、それを持って出掛けていたよ。
いつでも死ねるって思うと、なんだか元気が出てさ。
実際に飲むことになったのは、もうあの職場に行けない、「出社拒否」状態の真っ最中にいる時だった。
夜、真夜中だったね。飲めば死ねるんだと思って、一錠一錠、コップの水で飲んだよ。問題は、50錠飲まなければ死ねないことだった。20…25錠?ぐらい飲んだところで、もう錠剤が喉を通らなくなってしまったんだ。
トンカチで粉にしてから飲むべきだった、と後悔したよ。結局、未遂に終わって、翌朝からコンコンと、次の日の夕方まで眠り続けたよ。
ただ、兄の話を聞いて知ったんだが… 母が亡くなって、そのお通夜の時だったから、10年前に聞いた話だ。どういう経緯でか自殺の話になって(たぶん私がひとりで喋り始めた)、その薬の話をしたのだ。
そのとき兄は、ああ、充がこんな薬を持っているのだけれど、これは何の薬なの?と、知り合いの薬剤師のお友達に電話で聞いていた── と言った。
きっと、私がコンコンと眠り続けている時、部屋に来て、母は薬を見たのだと思う。
不登校、出社拒否、果ては自殺未遂と、まったく私はろくなことをしていない。親にも心配をかけすぎて、親孝行なんてとんでもない話だ。
これはずっと自分の、コンプレックスのようにあり続けてきた。
きっと親は、私に、大学を卒業し… チャンとした会社に勤めることを望んでいた… と思う。
これも、もしかしたら私の思い込みかもしれない。晩年、父母は、私が元気でいてくれたらいい、というふうな感じだったから。
私自身が、胸を張りたかったのかもしれない。自分は立派になったと、親に見せ、私自身が誇らしげに振る舞いたかったのかもしれない。