言葉が人をつくる

 正確には、「言語」「国語」が人をつくる、か。
 人の考え方に、ふだん使う言葉が影響を及ぼす、というべきか。

 中国語は、その文法上、「論理的思考に適さない」という。
 不立文字、という言葉もあるほどで、体験的直観を重視する。

 日本語も、中国語の影響が少なくないはずだから、「言わずもがな分かるでしょ?」的な言葉、そして思考回路ができあがってしまうという。

 哲学が、ヨーロッパでは論理的で、中国大陸ではそんな論理的でなかったのは、その母国語の成り立ちによるという見解(森三樹三郎さんの本)は、たぶん正しいと思う。

 まったく、いろんな環境が人をつくる。
 でも、自分が発する言葉… 各人一人一人が発する言葉によって、もし環境が変わるなら、誰にでも出来る小さな革命のように思える。

 言葉は、きっと、その人の物の見方・考え方を表わすものであるだろうから。