肉体の死はわかるが、精神の死とは? 絶望か? 希望のカケラもないこと?
肉体の死は、もう動かない身体であるだろう。短絡的だろうか。医学的には脳死であったり心肺停止であったり、肉体の死は「動かない」がある気がする。
精神の死とは、精神がもう動かぬ状態であるだろうか。ある一点にとどまり、固まったように、微動だにせず、一箇所にとどまり続ける… 具体的には「もう死ぬしかない」というような、「しかない」の一点を見つめる、そこから動かない、ということだろうか。
ならば、わかる… かな。しかし精神、そんなに硬化することは… ある。一箇所に閉ざされるというか、自己幽閉してしまう、精神の孤島に取り残されて、しかも狭い狭い、自分だけしかいられないような狭い場所に。
そこから動けない。客観的には「動かない」状態。
しかし肉体の死は客観的にしか分からぬが、精神の死は主観的にしか分かるまい。
その主観さえ動かなくなったような情態? それが精神の死だろうか。
ある観念に囚われ、そこに自己が埋没し、あらゆる他の観念を排他する、そんな情態だろうか。その観念をもっている(たった一つだけの)、自分自身の観念を客観視する主観が失われた情態…?
違うな。精神の死。
しかし… 「死」はそもそも何なのだろう。まして何なのか分からぬ「精神」、その「死」とは。
単純に、もう新しい景色が見えなくなって、またかの風景、見飽きた風景の中に居続けることだろうか。