この世に不満がある、と。で、きみはどうしたいのかね。どんな世を望むというのかね?
── 愛に満ち、平和に溢れ、誰もが幸せで…
ああ、ダメだね。何の具体性もないよ。現実的でないね。何も言っていないに等しい。体現できる理想でないと、きみの望みは何の意味も持たないよ。
── 確かに。以前、総裁選に立候補した政治家に「愛のある国づくり」を掲げた人がいました。テレビ・インタビューで見たのです。こりゃダメだと思いました。現実的でないと思えたからです。それが私だったのですね…
現実的なことばかり言っても、何も実行しないなら、それも意味のないことだがね。
── 私は無意味なことばかり考え、言ってきたような気がします。それでやりきれないのです。意味のある考え、有意義な言葉とは、いったい何だったのでしょう? 私の人生には、いったい何の意味があったのでしょう?
さして意味はないよ。なぜって、死があるからね。これがなければ、無限に意味もつけられた。なぜって、無限に生きることになるからね。つまり、いつだって意味は明日に持ち越しってわけだ! 明日があれば、望みがある。きみは意味がないことを嘆いているが、それは死を意識するからだ。死は、いっさいを無に帰するからね… だから今に執着する。今、意味を見つけたいとする。
ところが、死なんて存在しないんだよ… 何しろ、無なんだから。想像もできない世界だ。だから想像できるんだね。
── 私は想像し過ぎたのでしょうか?
想いを形にする、それが言葉であり、それを「言う」「書く」ことだとするなら、きみは言い過ぎ、書き過ぎただろうね。何より、もう時間が過ぎたんだから、どうしようもない。これからも無意味であり続けることがたまらないって? 安心なされ、いつまでも続くことはない、死があるんだから。時間はきみの敵ではない、何も憂うことはないよ! 憂いも快さも、生きてる限り、きみの手中にある… 他の、どこにもないんだよ。