戦後文学の魅力

 椎名麟三、梅崎春夫、武田泰淳らをはじめとする戦後文学。
 戦後の焼け野原、近所の、近くにいる者どうし、また日本中が共通意識、認識のもとに助け合い、助け合わずにはいられなかった時代── あのほんとうに助け合う心が今も残っていたなら、と思う。
 物がなかった、多くの人が貧乏であったからこそできた、助け合いだったろうか。物が有り余るほど豊かになれば、そんな心は失われる、そんなものだったんだろうか、精神とか心とかいうやつは。

 彼らの文学、といっても椎名麟三しか読んでいないが、その全集を通じて当時の彼らの生活ぶりは知ったつもりだ。
 彼らも、全く助け合い、あんな戦争はもうこりごり、あんな時代にこの国がまた戻ることはあってはならない、そんな頑とした思い、共通の思いをもってモノを書き、そして生活をしていたはずだ。
 おたがい貧乏だったのに、ある日椎名さんの家が改築しているのを見て、「椎名さん、建て替えてる!」と驚いた梅崎さんが、自分の家も改築を始めた、というエピソードや、「カボチャづくりの椎名さん」が庭で名人芸のようにカボチャを育て、近所に配った話。読んでいて、何か微笑ましい、温かな気持ちになったものだ。

 死体がごろごろ転がっている中を、歩いた人たちだ。そして物資も少なく、誰もが貧乏だった。そんな経験をしなければ、ほんとうに人のことを考えたり、助け合うことはできないんだろうか。
 老子の言葉を思い出す、「誰もがみんな貧乏なら、平和になる」。同じようなことをセリーヌも言っていた、「貧富の差が嫉妬、憎しみを生む」──

 あの戦後文学の精神は、受け継いでいきたいものだ。物がいくら豊かになろうと、豊かでなかろうと、精神ってやつは物ではない。影響を受け、そのたびに一喜一憂する他愛のないものだが、その根柢には普遍的な、変わり易いが変えられないもの、物にばかり動じているが、物では変えられないものが、そこにはあるように思えてならないからだ。それが、歴史をつくっているように思えるからだ。人間限定の、人間以上になれないものを。繰り返す、同じように繰り返す、変わらないものが、万人共通に。