(4)その対処法

 3、4年前、とにかく自分を変えなくては、と私は焦り出した。自己啓発のような「ホ・オポノポノ」やら「マインドフルネス」をやったが、自分の本質的なところは、そう簡単に変わるものではない。やはり自分の精神は、おのが力で何とかするのが正しい対処の仕方であることを思い知ることになった。

 ただ、マインドフルネスの「呼吸を見つめる」作業は、悪くないと思う。夜、寝床の中で、身体がしている「息を吸う→ 吸った息が出ていく→ また吸っている」という自動的な繰り返し、この呼吸の足取りをたどっていく作業だ。

 吸う・吸いたくないに関わらず、この繰り返しを身体はひとりでにやっている。この呼吸が止まれば、自分は死ぬ。身体に生かされている自分、呼吸によって生かされているこの身体が、その呼吸の出入りを見つめることで、しんみり自覚できる。

 べつに、深呼吸とか、意識しなくていい。今まで数えきれないほど繰り返してきた、この身体さんの「呼吸」を、ただ見つめるだけ。その健気な繰り返しを、静かな気持ちで見つめていると、「よく繰り返してきたなぁ」と、涙ぐんでしまったりする。

 老荘思想の「荘子」にも、「鼻から入った息が、かかとから出ていく」という描写がある。息が、喉・胸を通過して、かかとまで伸びて行くことを意識すると、まるでホントに足の先にまで行くような気がするから、不思議な気持ちになる。

 ついでに、この「荘子」は、寝る前に読んだりすれば、へたな精神安定薬よりよっぽど効く本だと思う。「生きることなんて、たいしたことではないよ」と、この思想家はミもフタもないことを平然と言ってくる。ほとんどが短いたとえ話で、真理を突いてくる。
 生きることに、疲れてしまったような時は、もうすべてがイヤになる。頭など使いたくないし、
何も考えたくない。そんな時でも、この「荘子」は読める。

 心が疲れているのか、身体が疲れているのか、分からない時、どっちにしても、よく眠り、美味しいものを食べることが一番の対処法だ。その対処の手助けに、銭湯の「炭酸風呂」、ミストサウナ、時には水風呂もいい。問答無用に、身体が労われる。特に炭酸風呂は、40℃あるかないかのぬるま湯で、30分位まったりと浸かっていられる。そして身体はしっかり温まる。

 ご老体の多い銭湯だが、若者や子供も生まれたままの姿でいて、ああ、みんな生きてるんだなぁ、と、何となく優しい気持ちになれたりする。

 金銭面での不安については、あきらめよう、割り切ろう、という姿勢でいる。なけなしの貯蓄で生活しているが、たまにビールも飲むしタバコはよく吸う。お金がなくなったら、もう仕方ない、と思おうとしている。実際にその未来が来た時よりも、来る前までにあれこれ考えてしまう時間に、ヒトは一番労力を使い、心労するらしい。

 今まで、はたらいてきた心と身体へのご褒美が、死である、という話もある。自分としては、なるべく、内なる自然(必然)の「死にたいなぁ」という欲求に従うのではなく、外からやって来る自然の「お迎え」を、快く受け入れられる情態でありたい。