(9)太宰治

 太宰は言った、「生きること── 見飽きた活動写真を見続ける勇気。」
 これ以上、生きることについて言い表せる言葉を、私は他に知らない。
 檀一雄によれば、太宰は「自分の劇を自分でつくった」人である。自殺するストーリーは、もう決まっていたかのようなのだ。

 太宰の時代は、「東大の仏文科を卒業しても、将来何の仕事先もない」といわれていた。しかも彼はフランス語など興味もなかったのに、この学科を選んだ。
「この進学は、一般企業、一般社会に勤めることを自ら断つ、つまり作家になる、という覚悟の表れだったはずだ」(檀一雄「太宰と安吾」角川文庫)

 芥川賞に異常なこだわりを見せ、当時の選考委員へ、涙ぐましい懇願の書簡を宛てている。
 太宰は実家が裕福であることにコンプレックスを持っていたし(貧乏であることへのそれでないところが、太宰の太宰たる由縁だと私は思う)、その家が徐々に落ちぶれていくのを、涙ぐみながら太宰は微笑んで見ていたように思える。
 芥川賞にあれだけこだわったのは、父や兄と違う生き方を選んだ自分の成功と名誉を、故郷に錦を飾るように、彼らに見せたかったのではないかと思う。

 しかし太宰は、どこまでも太宰だった。まわりから見れば、自分は異端者、異質者であることを意識した。
 だからこそ、まわりより秀でよう、文学の世界で秀でよう、と、一生懸命、生きて、書いていたように思う。
「言葉は、短ければ短いほどいい。それで、伝わるならば」とか、「今日は調子がいいようですね?」「そうです、芸術はその時の調子で決まります」とか、サラリと、ぐっと来る、言葉使いの天才だったと感じる時もある。

「家庭の幸福」という短編では、役所勤めをする主人公の窓口に女が来たが、もう勤務時間が終わる頃だったので、主人公は受付を拒否する。家庭をこよなく愛する男で、早く帰りたかったのだ。だが、その受付を拒否したことで、その女は自殺してしまった、という短編。
 そして太宰は書く、「家庭の幸福は諸悪の根源」。

「生きることは大変だ。あちこちに鎖が絡まっていて、少しでも動くと血が噴き出す」
「ぼくたち、弱い人間どうしなのだから、せめて言葉くらい、誠実であろうよ」
「自意識過剰は現代の病」
 … いつから太宰は、自殺を意識し始めたのか? 気がついたら、あった。空気や重力のように、太宰の身体に自然に埋まっていたのではないかと思う。

 もののあわれさ、気分のあさはかさ。この世と自身の無常、突き詰めて自分であることを呪い、「ワッと叫んで布団から飛び起きる」姿を想う。

 その死については、誘った女の方が積極的だったとか、小説が書けなくなったからだとか言われるが、真の心因、原因は分からない。ただ私には、自分で自分の始末をしようとして、そうしたのだとしか思えない。
 ふいに、作家は、家を作るのが仕事なのかなと思う。物語を設計し、間取り図を描き、文列を建てて「どうですか、住み心地。居心地、いいですか」と読者に提供するのだ。
 ドラマの舞台、脚本をひとりでつくり、終演の幕を手ずから引いた、それが太宰の自殺だったとしても、誰もがきっと、そうなのだ。最後に、誰がその幕引きをするか、の違いだけで…