読まれるものを書く…ほんとに難しい。
「人気ブログランキング」で四人もの方に「フォロー」を頂いたのは奇蹟といっていいかもしれない。
自分のことを書けば、20年位前にウェブリブログで書いてはいた。よくコメントをくれる方から、ランクのトップになってますよ!と教えてもらい、でもそんなランキングなんてどうでもいいと思っていた。
ブログというのは、社会運動、と捉えていた。そもそもアメリカで発祥したらしいブログという形態。個人の社会への発信が、点と点を繋ぐように一つのうねりになって、何かを変えた歴史があるらしい。
いわゆるマイノリティー…「少数派」と呼ばれるような人達が声を上げ、それに共感し、それまで圧せられていたものを解放していく、という動きに繋がったという。
何だかオカシナ社会だナと感じていた自分としては、とにかく云いたいことを云う、それまで鬱屈していた「云いたいこと」をブログにぶつけて書いていた。そしたら、結構読まれていたらしい。
今や戦争も始まっているし、わけのわからないオリンピックをやり、言葉も信じられず、いよいよわけがわからない。
だからこそ何か書きたい、そんな気にもなったけれど、結局自分のことを書くことになっている。
そしてもちろん多くは読まれない。多い/少ないの、数の問題にするのも引っ掛かる。多数が正義、みたいな感じには、ほとほと嫌気が差す。でもその数にこだわっている自分。
20年ぶりにブログを始めて感じること。まわりも変わったけれど、自分も変わった。訴えたい、という情熱のようなものが希薄になった。
まわりに向かうというよりも、内へ向かう。もともと内向する性格だった。が、すると、一体「読まれるために書く」かのような自分は何なのだという。
読まれなくて、当たり前ではないかと思う。なのに、なぜ投稿するのかという。
これも今に始まったことではない。
さっき、自分も変わったと書いた。でも根本、本質は変わっていない。
ブログは自分のことを書けばいいのだし、それが基本だろう。しかし…