ブッダもソクラテスも、本人は何も書いていない。これも、とても興味深いことだ。
ソクラテスは「対話にのみ言葉は生きる」と信じていたし、ブッダにしても、ひきこもって物を書くよりも、実際に人と対して説く方を進んで選んだように思う。
そしてふたりに、師はいなかった。ブッダはサンジャヤなど六外道の宗教家を訪ね、その教えを学んだが、彼の腑に落ちるものではなかった。
当たり前のように行なわれていた「苦行」も否定した。
ソクラテスに至っては、人と1人1人対話することにこそ、その対者と自己との間に、あたかも「師」(=真理)があるかの如くだった。
知恵というものが、彼らにとって最も信頼のおける友であり、最大の師なのだった。
そして「自己の中に答がある」と、ふたり口を揃えて言っている。
哲学は屁理屈であり、宗教は自己をなおざりにすると信じていた私に、このふたりは「それは本意ではない。よく読め」と言ってきた。
また、ふたりとも、全く死を恐れていなかった。
「死を知らないのに、なぜ恐れるのか。永遠の、夢も見ない心地良い眠りかもしれないし、ある人々がいうように、善き魂たちの集う場であるかもしれない」
ソクラテスがそう言えば、ブッダは「生起のあるところ消滅がある」と自分の説いた内容に絶対的な信を置き、自身の死に際してもそれを淡々と貫徹した。
ふたりとも、ある種の絶対論者のようでもあったが、けっしてひとりよがりの絶対ではなかった。
あくまでも「善・正しさ・悪・不正」という人間の判断性能を養うための論理・道理を説き、彼ら自身の中でピラミッドのように構築したものが、すなわち「真理」なのだった。
それであるがために、彼らが死した後も、時間の洗礼を物ともせず、時間と同時進行するようにこの世にあり続けるのだと思う。
モンテーニュは、70歳のソクラテスが死を受け容れたのは、「いくぶんのボケ、老衰による判断のぼやけがあったのではないか」と言っている。
晩年のブッダも、「私が死ぬのはアーナンダ、おまえのせいだ」と言い出し、それまで20年も親身になって世話をしてきた弟子のアーナンダに酷い言葉を浴びせている。
ブッダ、ひどいなあ、と読んでいて感じたが、これも80歳を迎えたシッダールタの、避け得ない、老いの自然な発露だったように思える。
それにしても、彼らは何も書かなかった。
そのことに、ほんとうの真実のようなものを見る思いがする。