(2)同胞(または同類)意識

「パチンコ屋には、人生に失敗した落伍者が寄り集まる」
 そんな先入観も、僕を大きく励ました。
 けっして、軽い気持ちでやっていたわけではない。
 だいじなお金を投じているのだ。真剣にならざるを得なかった。

 現実逃避をしていることも自覚していた。
 そしてその現実から、逃げられるわけもないことも。

 1万、2万と失くして行くにつれ、身体の表面は冷たいが、内側が火照り始めた。
 妙な汗とともに、(何とかしなくちゃ)の一心に全身が覆われていく。
「とんでもないことをしている」と思った。

「何ムキになってんだ…」
 私の後ろを、サラリーマン風の男が聞こえよがしに、そう言って歩いて行った。

 僕の台は、当たらなかった。当たっても、すぐに終わった。
(こんなはずじゃ…)動揺した気持ちが、(このままじゃヤバイ)危機感になり、(このままではやめれない)切迫感に変わっていく。

 こんなことをしてる場合じゃない。本気でそう思った。しかし、台から離れられない。
 打ち続ける限り、当たるかもしれないではないか。
 現に、さっき座ったばかりの人が、あんなに箱を積んでいるではないか。

 結局、3万が失くなって、帰りの電車賃が貴重な小銭になった。
 この場所の怖さを知った、初めての夜だった。
 だが、不気味で不思議な、嬉しい気分も確かに残った。

 この世に居場所がないと思っていた自分が、ここでなら1日中、堂々と座っていることができたのだ。
 まわりの人達も、各々の台に向き合い、誰も私に構わない。

 この知らない他人の1人1人に、僕は自分を見ているような気になった。
 自分は独りではない… こんな、同じような人たちがいる。
 言葉を交わさなくても、同じ仲間であるような、奇妙な意識が僕に芽生えた。

 また、この大切なお金を、こんなことに使ってしまう自分に、満足感も覚えた。
「生命の次に大事なお金」
「働かないで、どうやって生きて行くの?」
 したり顔で、当然のようにそう言ってくる大人達── 社会のようなものに対し、僕は、「そうじゃないだろう、カネなんて、たいしたもんじゃないだろう」と言いたい自分が、体現できた気にもなった。

 だが、実情は、ただ快感を、当たった時の快感を、身体が求めていたに過ぎないとも思う。

〈獲物を捕らえた狩猟者は、そこで得た快感に捕われてしまう〉

 私は、すでに捕われていた。