秋の終わり

 この夏は、恋をしなかった。
 もう、今までにいっぱい恋をしたし、もうあんな思いに身を焦がすこともない。

 そう思うと、女は淋しい気がした。
 出逢いがないということは、別れもなかった。

 際立って何の変化もない、この平坦なのっぺりした道を、来る日も来る日も歩み続けて… そしていつか必ず、死んでいくのだ。

 それ以上のことなんか、望めやしなかったのだ。

「でも、望んだんだ」と女は考える。
 自分が生きている、ほんとうに生きていることを知りたかった。

 誰かを好きになって、心から「愛している」と言えた時、彼女はほんとうに生きている気がしていたのだ。

「でも、」と女はまた考える、「そう、幸せなんて一瞬なんだから」

 彼女は、生きることは、幸せでなくてはならない、と思い込んでいた。
 だが、その願いも、もう空を飛ばなくなった。

 生きるのはつらい、と思い込み始めたからである。

「わたしは地を這う虫になるんだ。大空を飛ぼうなんて、だいそれたことは、もう望まない。思い切り、叩きつけられるんだから」

 そうして、スマホばかりをいじるようになった。
 仕事の休憩中も、誰とも喋らない。

 誰かが話し掛けてきたら、愛想笑いを浮かべて、適当な相槌をうつだけ。

「人間関係をしに働いてるわけじゃない。わたしはただの電話受付で、お金と、そのための時間潰しに来てるんだから」

 友達を持つとお金が掛かる。
 恋人も面倒臭い。ひとりがいい。

 ひとりが気楽だ。
 友情だの愛だの、ちゃんちゃら可笑しい。
 みんな、自分のことしか考えていないくせに。

 彼女は仕事を欠勤しがちになった。
 スマホ、パソコンにも飽きてしまった。

 じっと部屋に閉じ籠り、ぼんやりすることが多くなった。
 自分が、徐々に人間でなくなっていくような気さえ、しなかった。

 無断欠勤を続けた5日後、同僚の男が訪ねてきた。
 家が近く、様子を見に行くよう、上司に言われたからだ。

 チャイムを鳴らすと、中から「はい」と、くぐもった声がした。
「どうぞ」

 鍵は掛かっていなかった。

 ドアを開けると、巨大な卵型の繭が立っていた。
 その繭の中で、顔らしきものが嬉しそうに笑って言った。

「入って、どうぞ、入って。わたし、待っていたのよ。ほんとうに、待っていたのよ」