「一日の労苦は、一日にして足れり」
善い言葉だと思う。あれこれ、思い煩うな。いや、思い煩うのは、いいのだけれど、何も明日や明後日のこと、一週間や二週間、一年や三年後のことなどについて、思い煩うな、ということだ。真意のほどは、知らない。
もちろん、予定を立てるのもだいじである。デートとか。しかし、それも、
「命あっての、物種です。」
朝、起きて、太陽に向かって心の中で叫ぶのだ。「ありがとう!」
太陽が雲の向こうにいたら、そっちに向かって言えばいい、(ありがとう)
「果報は寝て待て」
しかし、果報さん、来てくれなくても、恨まぬように。
果報さんが部屋に訪ねて来ても、
「いえ、私は、間に合っています。この、命があるんですから!」
と、笑顔で応対。
「笑う門に福来たる」
福さんが来ても、まあ、お茶でもどうぞと、座布団もさしあげて、福さんの苦労話でも聞いてみよう。
「もう、私の出番も少なくなってしまいました。みんな、お金なんです。福なんか、お金で買えると、みんな思ってる。淋しいものですよ」
そういえば、お金で、命を延ばそうとする人、けっこういるな。こないだもテレビでやっていた。手術のために、お金が要るんだ。募金とか、募ってた。臓器移植とか、人の臓器を自分の身体に埋め込めば、生きられる、って。お金や善意で、命さえ、どうにかなってしまうんだよ。
「そうなのよ」
涙ぐみながら、福さんは言う。
「手術しないと、死んじゃう赤ちゃんは、それが、その赤ちゃんの、命だったの。ちゃんと、あの親御さん達には、福を、私、さしあげようと、ちゃんと用意してたのよ。でも、あの親御さん達は大枚はたいて、手術させて、生き伸ばすことで、福を手に入れたみたいなのよ。あの赤ちゃんには、ほんとうに気の毒なのだけど、あの子の命は…」
福さん。お酒でも飲むかい。僕が稼いだ少ないバイト代で、買ったんだ。まずいけど。
かくして深夜の酒宴は、深夜の三時にまで及んだ。帰り際に、さくらんぼ色した福さんが言った。
「ねえ、あなた、自分の命を、まっとうしなさい。老衰でも、病死でも、あなたが選ぶなら、自殺もよし。ただね、命は、誰のものでもないのよ。誤解しないでね、生きることと、命は、まったく別のものなの。くれぐれも、ごちゃまぜにしないでね」
私の一日の労苦、終了。