「パンドラの匣」を読む

 新潮文庫。太宰治。「正義と微笑」は面白かったが、表題の「パンドラ」は、つまらなかった。
 あ、太宰、書くの、つまんなくなってるな、と、読んでいて感じた。書き手の心情、読み手に伝わるもの。

 しかし、太宰の書き方、大変参考になる。告白体、手紙の文体が、この人の真骨頂か。太宰本人の心持ち、よく分かるし(これがこの人のテなのは分かっている)、やはり憎めない。
 しょうがないナー、と思いながら、眉間にシワ寄せ、口元ゆるませ、だらだら読んでしまう。

 この数日で、寝る前に、布団の中でずいぶん読んだ。「お伽草紙」に始まって、「もの思う葦」「グッド・バイ」「ヴィヨンの妻」…
 20歳の頃に読んでいた本の、再読のかたち。こういう読み方、良いらしい。

 あの頃は、太宰を天才だと信じていた。言葉の魔術師。言葉の魔法使い…だったが、今読むと、どうも、そうでもない。「天才に憧れるあまり、天才のようになった人」。自分を、けっして捨てない人だったのに、最後の最後に捨ててしまった人。

 自殺した作家、川端、三島、有島は抜かして、よく読んでいた10代の頃、でも太宰は、読みたくなかった。
「生まれてすみません」なんて、マトを突きすぎているし、何かわざとらしく、キザみたいで、踏み入れてはいけない世界に思えた。それが、読んでみれば、すっかりハマッてしまった。何を読んだか、忘れたが。

 今までハマッた作家は、大江健三郎、椎名麟三。モンテーニュ、荘子。軽いものでは、星新一、下田治美と伊集院静のエッセイ。チェーホフも、少し。漱石とドストエフスキーは、「読まなければ」の義務感のようなものが働いて読んだ。山川方夫も気になる存在で、全集を買った。あまり読んでいない。

 太宰の魅力は、あの弱々しさか。いや、弱さを曝け出す、強靭さ(自己顕示欲?)?
 自己を、いとおしく、憐憫している。いや、厳しく、厳しく、突き詰めようとしたのか。
 いやいや、 あの人は、何か、知っていた。生まれた時から、生まれる前から? 知っていたようなことを、言葉に表現し続けた人、かな。

 今、打っているパソコンの横に、数冊、太宰が積み重なっているが、この4、5冊から出てくるオーラ、感じられる空気、どこか、空虚だ。親近感めいたものも感じる。
 怖さ、悲しさも、少し。一辺倒で行かない、複雑な気持ちにさせられる。でも、やはり仕方なく微笑んでしまう感じ。
 とにかく、よく、こんなに一杯、書いたものだと思う。

 やさしい人だった、とは、思う。が、「やさしさ」ほど、曖昧なものもない。
 太宰は、やはり知っていたと思う。決定的に、何かを…、何を知っていたのか? 対立するもの…嘘と真、美と醜、善と悪、相対するものの、間にあるもの、かな。

 プライドの、高い人だったとも思う。取って付けたような外面のプライドでなく、自身の内にある、人間としての尊厳のような…どう言ったらいいものか。
 酒や借金で、どんなに生きている形態が醜い自分であったとしても、そして醜い心を抱えていたとしても、パンドラの匣のように、最後にひとつ、尊いものが残っている…とでもいうのか。
 
 三島が自決したように、自分でつくった舞台装置に、自分が回ってしまったのかな。
 自分のドラマを完結させるように、やっぱり死ななければならなかったのかな。
 運命に従うだけでなく、積極的に、運命に飛び込んで行っちゃったんだろうか。
 自殺。それにしても…。