ぶつぶつ、もごもご。ぶつぶつ、もごもご。声がする。
「困ったものだ。土がない」
「まったくそうだ。
三丁目のヤマダさんちも、改築したら、灰褐色の固いものに地面を塗り替えてしまった。
ふさふさした、良い土だったのに」
「おかげで、多くの仲間が失われた。
いい奴らだった。
集団見合いをして、うちの娘も、ヤマダさんのところへ嫁いだほどじゃ。
もうすぐ孫が生まれると聞いたのに」
「土から生まれ、土に還るわれわれとしては、この先が思いやられる。どうしたものだろうか」
「あの塗り立てる者に、陳情ができたらいいのだが。申し入れる術がない」
「まったくだ。われわれは、いつも追いやられる身だ。しかも、追われる先さえなくなってきた」
「このままでは、絶えてしまう。われわれは、一揆を起こすべきではないか」
そこへ、ペタペタとサンダルの音がした。
「や、あの女の子が来る。
いつもわれわれを転がして、もてあそぶ子どもだ。
また、われわれは転がされる…」
幼児は、しゃがみ込むと、指先でダンゴムシをつつきはじめた。
丸くなると、ころころ転がして遊んでいる。
「もしもし、お嬢さん。
何が楽しくてこんなことするのかね」
ダンゴムシの団長が訊いた。
「面白いんだもん。理由なんか知らない」
幼児が答えた。
おや! 会話が成立している!
団長は、嬉しくなった。
「もしもし、Hello, Hello, 聞こえますか」
副団長も、上を向いて幼児に言った。
第五班の班長が、団長に耳打ちした。
「この種族には、シックス・センスを持つ者があるとか。
映画にもなったそうです。
特に子どもという種は、人形とも会話が可能だとか。
確かなスジから、そう聞いたことがあります」
「救世主だ」
団長が叫んだ。
「おお、あなたの仲間の、土を固いものに変える者に、どうか言って下さい。
土を、そのままにしておいて下さい。
固いもので、埋めないで下さい。
われわれは、困っています。どうか、どうかお願いします」
幼児は、きょとんとダンゴムシを見つめた。
団長は、短い触覚を下げて、正座をして陳情を述べた。
「何言ってるか分からない」
幼児が言った。
幼児は、自分に関すること以外、関心がなかった。
「ご飯ですよー」
声が家屋から聞こえ、幼児はまたペタペタと音を鳴らし、遠くへ行ってしまった。
「ああ…」
団長たちは、落胆した。
「これが運命か。しかし、あの子と、一瞬でも、通じ合えた」
数年後、幼児はおとなになった。
嫁いだ先から帰省すると、貧乏な家が、傾きながらも立っていることを喜んだ。
むかしのままの、小さな庭も、懐かしかった。
夕暮れ時、「ご飯だよ」老母の声が聞こえた。
すると、以前ここにいて、もごもご、もごもごと、小さなものが何か言っていたことを思い出した。
たしか、ずいぶん困っている、窮状を訴える声だったような…。
食卓を、老父母と囲む。
「もう、わしらも、この先長くない。
この家、建て替えて、住まないか。
お金、少しでも援助できればと思って、少しだけど貯めてある」
「そうだよ、ここに住みゃあいい。庭も駐車場にして」
おとなになった幼児は、老母の最後の言葉に反応した。
「あそこを駐車場にしたら、困る人たちがいる。きっと、いる」
「何言ってるの。困る人なんかいないよ」
「いるわ、いるのよ」
子は、反論した。
「わたし、聞いたことがあるのよ。
ほんとに困って、どうか、どうか、このまま土を残してくれって。
わたし、ちっちゃい時、ほんとうに困っている人の声を聞いたの」
「まあ、おまえの好きにすればいいけどさ」
老父母は、子の意外な反応に、少し驚きながら言った。
庭で、この会話を聞いていたダンゴムシ一団。
「ああ、あれが、大先祖から聞き伝わった、まぼろしの救世主か」
「おお、あの伝承はほんとうだったのか」
「いやあ、夢ではあるまいか」
まさか、まさかの歓喜の声が、夕闇に響き渡った。
おとなになった人間には聞こえない大合唱。
今宵、かれらはこの報告、および今後の傾向と対策のための、入念な会議を開いた。
それからまた、数年後。
この家の庭に、小さな男の子が。
「おいおい、そんなにしないでおくれよ」
転がされて、ダンゴムシは言った。
傍らで団長が、「おい、不平を言うな。この子は、あの慈母の子ぞ」と、同胞をいさめた。
「そうそう。ありがたいことだ。おかげで、われわれはこうして生きていられる」
仲間たちも、けたけたと笑った。
だが、そしてそのまた数年後……