(8)静かな世界

「匂いがないのが、もっとも良い匂いだよ」
 イタチが言った。

「音のない世界が、いちばん良い音を奏でている」
 コオロギが言った。

「言葉を発しない者が、もっとも雄弁に語る」
 ヒトが言った。

 それを聞いて、フクロウが言った、
「そうだろう、そうだろう。最後のイタチっ屁を放つおまえは、それが火急の時だからな。
 そんな危険のない世界を良しとするだろう。

 恋を求めて鳴くおまえは、鳴く必要がなければ満たされているからな。
 喋らないおまえは、おまえと接する相手に多大な想像をさせる。
 そりゃ雄弁に匹敵するだろうからな…」

 フクロウは、さらに言った、
「しかし、匂いはあるものだ。
 音もある、言葉もある。
 それらは浮かび上がり、それをつかむ者によって良し悪しの判断をされる。

 悪臭を放って敵を退散させ、良い音を発して伴侶を呼び、言葉を選んで理解されようとする。
 何がそうさせているのだろう?」

「自分の身を守るため」
 イタチが答え、
「こどもをつくるため」コオロギが答えれば、
「理解されるため」とヒトが答えた。

「ヒトよ、おまえだけ、受動的だな」
 フクロウが言った、
「おまえの主体はどこに行ったのだ?」

「受け身にできているんです」
 ヒトが言う、
「相手や周囲のことを、考えるようにできているんです」

 フクロウはからから笑った。
「他者のことを考えるふりして、自分のことしか考えていないのが実情だろう」

「でも、ほんとに考えているんですよ、自分以外の相手を」
 ヒトは抗議した。

「そこまでひねくれた性根は、どうして出来上がったのかね」
 フクロウが言う、
「本能でないものを、本能だとまでしてしまう、ねじくれまがった性根は。
 まわりのことを本気で考えられるなら、もっと平和な世界になったろうに。

 ヒトよ、おまえだけだよ、思いやりだの優しさだの言いながら、傷つけ合い、自死や殺傷、物騒な世界をつくっている生物は。なんでだと思う? 」

「そりゃ、」
 ヒトは、べらべら喋り出した。
 べらべら。べらべらべらべら…

 土を掘り、食べ物を探すイタチを、オオカミが身を伏せて見つめている。
 鳴き続けるコオロギを、ヤモリがじりじり見つめている。

 ヒトは、喋り続けている。
 フクロウは、ほうほう聞いている。
 月に照らされた、夜の森。

(森の支配者ぶったヒトは、自分自身を支配することを忘れているようだ)
 フクロウは思った。
(外敵を失った種族は、内に敵をつくりだす。そうして自滅していった生物を、わしはずいぶん見てきたよ)

 思っているだけで、口にしない。
 相槌をうって、話を聞く。
 ほうほう。ほうほう。

 森の静けさ、平和の静けさに対する、せめてもの畏敬。
 静寂を、破り続ける、ヒトへの憐憫。
 生命に必要のない言葉、匂い、音ばかりつくるものを、枯れ枝にとまってじっと見つめている。