斉物論篇(八)

 さて、言葉というものは、口から吹きだす単なる音ではない。言葉を口から出すものは、何事かを言おうとするのである。

 ただ、その言おうとする内容が、人によって異なり、一定しないところに問題がある。

 もし言葉の内容が一定しないままに発言したとすれば、その言ったことが、はたして言ったことになるのか、それとも何も言わなかったことになるのか、わかったものではない。

 たとえ自分では単なる雛のさえずりとは違うと思っていても、はたして区別がつくのかどうか、あやしいものである。

 それでは、道は何に覆い隠されて、真と偽の区別を生ずるのであろうか。

 言葉は何に覆い隠されて、是と非の対立を生ずるのであろうか。

 もともと道というものは、どこまで行っても存在しないところはなく、言葉というものは、どこにあっても妥当するはずのものである。

 それが、そうでなくなるのはなぜか。

 ほかでもない。は小さな成功を求める心によって隠され、言葉は栄誉と華やかさを求める議論のうちに隠されてしまうのである。

 だからこそ、そこに儒家と墨家との、是非の対立が生まれる。

 こうして相手の非とするところを是としたり、相手の是とするところを非としたりするようになる。

 もしほんとうに、相手の非とするところを是とし、相手の是とするところを非としようと思えば、是非の対立を越えた、明らかな知恵をもって照らすのが第一である。

 ── 人類史上から戦争をなくす── 意見の対立、是非、善悪、正義と不正、対立するすべてのものを、第三の場所、三つ目の目、対立するあいだのちょっと上の方、斜めでも右でも下方からでも、どこからでもいいが、「明らかな知恵」をもって「対立」を見つめること、そして対立を超えていくこと。

 両者の対立、その「両」の、どちらでもない、みっつめのところから、対立を照らすこと。明らかにすること、知恵をもって。

 知恵に、もし最上のもの、ランキングがつけられるとしたら、この知恵はトップクラスに位置するだろうと思う。知恵に、下等も上級もないとしても。

 この文中にある儒家と墨家の対立… 儒教をとなえた孔子は、その後もちろん死んだ。弟子たちは、孔子の教えを従順に守った、「冠婚葬祭」、父長制、親孝行せよ、立身出世せよ、等々の教えを。

 むろん孔子も、戦乱の世にあって、いかに平和を築くか、荒れた世を治められるか、として、これらの「教え」=儒教を為政者に進言しただろうが、後世の弟子たちはそれにあぐらをかいてしまった。

 心を込めて、たとえば冠婚葬祭をするとか、そんな心など、とうに失われた。要するに、金稼ぎ、式を華やかにすること… 冠婚葬祭業として儒家はイイ物をたらふく喰い始めたという。

 そこに異をとなえたのが墨子だ。かなりの努力家だったと見え、河川の工事やら、民が困っていると知れば、すぐさまその困り事に現実的に、具体的に対処し、その労を厭わず、まさに「世のため人のために尽くす」という生き様が墨子一派、「墨家」であったという。

 だから墨家の人たちに、ぶくぶく太った者はおらず、皆やせ細っていたという。

 この墨家も、始祖の墨子の死後、弟子たちが対立をはじめ、まるでその教派もなかったように消え失せてしまったらしい。残念なことだ。

 墨子について僕は詳しく知らないが、かなりエネルギッシュな、何か人をソノ気にさせるような、そういう集団であったらしい。一時期、儒家を上回る勢力であったとか。ちょっと、気になる人ではある。

 それはそれとして、やっと「道」という言葉が出てきた。「タオ」。これこそが、言葉にできぬ、あえて仕方なく付けたとでもいう、老子荘子の「道」、生きた道そのものであったと思う。

 ブッダの涅槃、ソクラテスの真理、正しさを追求する、その生き方とでもいうべき… 形状、かたちは全く違うが、でも全く違うとも言い切れない、どうもぐるぐる、このブッダ・ソクラテス・荘子にどこか通じている、かすめている、何かの接点のように思えてならない。