さて、その昔、堯帝が舜に向かって言った。
「わしは宋・膾・胥敖の三国を征伐しようと思っている。
だが、南面して天子の位にありながら、武力を用いて征伐をするということは、何ともすっきりしないで、うしろめたい気がする。その理由は何であろうか」
すると、舜は答えた。
「この三国の君主は、草むらが生い茂るような辺地に住む者どもです。このような者どもに対して、うしろめたい気持ちを持たれるのは、おかしいではありませんか。
その昔、十個の太陽が一時に空に現われたことがあり、そのとき地上の万物は残らず照らし出されたと申します。
まして太陽よりすぐれた徳をそなえられた陛下が、その徳によって三国を照らされないはずはないと存じます」
── 征伐は、やめなさい。あなたには、徳があるではありませんか。まして武力などを使い、すでに備わっているあなたの徳を用いようとなさらないとは。
舜は、そう言って、堯帝を止めているように見える。
「徳」のことを、プラトンの著では「はたらき」、荘子の著では「もちまえ」とルビがふられている。
力など、まして武力による力など、使うことなど、ないではありませんか。
そもそも、力など、そんな、入れないでも、いいのではないですか。
舜は、そう言っているように見える。
あなたには、備わっているものがあるではありませんか。
それが用いられないことが、うしろめたさの正体ですよ、とでもいうように。