湯王が棘に尋ねた時にも、棘は先に述べた話と同じ答をしている。
窮髪の地の北に、暗い海と呼ばれているものがある。これこそ天池にほかならない。ここに魚がすみ、その背の広さは数千里もあり、その身の丈に至っては、誰一人として知る者もない。その名を鯤という。
また、ここに鳥がすみ、その名を鵬という。背は泰山のようで、翼は天空にたれこめる雲と区別がつかないほどである。
立ちのぼる旋風に羽ばたき、旋回しながら上昇すること九万里、雲海の彼方に出て、青天を背にしながら、やがて南をさし、南極の暗い海に向かおうとする。
これを見たウズラは、せせら笑いながら、つぶやいた。
「あいつは一体、どこへ行くつもりなのだろう。わしは躍り上がって飛び立っても、ものの数十尺も上らないうちに地に下り、ヨモギグサの間を飛び回るのがせいぜいだ。
これだって飛ぶものにとっては精一杯のところなのに、あいつは一体どこまで行くつもりなのだろう」
ここにこそ、小さいものと、大きいものとの分かれ目がある。
── 南極の暗い海って、あの世だろうか。ここでは鯤と鵬が同じ時間、同じ場所に存在している。が、鵬はやはり南の暗い海を目指して飛び立って行く。
南極の暗い海に着いた鵬は、鯤になるのだろうか? または、鯤を生むのだろうか。
どちらでもないだろう。鵬は、その大きな身体を憩わせるには、その身を置くには、天池しかなかった。他に、かれの身の置き場、相応しい場所はなかった。
鯤は、ずっと北の海に棲息を続けるんだろうか。かれは魚であるから、そうするしか術がなさそうだ。
鵬は、なぜ飛び立つのか。鵬自身にも、わかるまい。鳥であるから、その生来に備わった性能を発揮しているにすぎないだろう。
鯤は鯤として、鵬は鵬として、同じ時間、同じ場所に存在していることが興味深い。
先の話(逍遥遊篇一)では、鯤は鵬に化身する、と書かれていたのに。
もしかしたら、どちらも、同じことなのかもしれない。